[2011.11.01]
栃木県 那須野地方に伝わる伝説…「玉藻前と殺生石」は、次のような話で…。
子供に恵まれない夫婦によって育てられた玉藻前(少女時代は、藻女と呼ばれた)は、美しく成長し、18歳から宮中でつかえ始め、後に鳥羽上皇に仕える女官となった。次第に、上皇に寵愛されるようになった玉藻前は、ある日、上皇と契りを結ぶ…。しかし、その後、上皇は病に伏せるようになり、医者が病の原因を調べても解からないため、陰陽師の安倍泰成(安倍泰親、安倍清明とも言われている)が調べたところ、病の原因は玉藻前で、その正体は、白面金毛九尾の狐であると、暴露されてしまう。玉藻前は、九尾の狐の姿のまま宮中を脱走、那須野に逃げ去った…。
その後、那須野では、九尾の狐が婦女子をさらう等の悪さをし始める。領主・須藤権守貞信は、耐え切れなくなり、上皇に相談した。上皇は、三浦介義明と上総介広常を将軍に、陰陽師・安倍泰成を参謀に任命し、8万余りの討伐軍を編成して、那須野に向かわせた。討伐軍は、九尾の狐姿の玉藻前を囲むが、怪しげな術により、多くの兵を失い、失敗に終わってしまう…。その後、討伐軍は、犬追物等で訓練を重ね、再び討伐に出掛ける。結果、今度は優勢になった!玉藻前は、貞信の夢の中に現われて許しを乞うたが、討伐軍は戦いを続け、三浦介の矢が脇腹と首筋を射抜き、さらに上総介の長刀が斬りつけ、九尾の狐を倒す…。
ところが、九尾の狐は死後、巨大な毒石に変化した!石に近づく人間や動物等の命を奪い、石の周りは、それらの死骸であふれたようで、村人達は、この石を「殺生石」と名付けた。全国から名僧と言われた数多くの僧たちが、鎮魂のためにやって来たが、彼らでさえ、毒により、次々と倒れて行ったらしい…。
そのような物なので、誰もが殺生石のそばに立ち寄ろうとはしなかったが、室町時代に入り、会津から都へ歩いて帰ろうとしていた玄翁和尚が、殺生石に立ち寄った。和尚は、殺生石の事をまったく知らないまま、その側で一夜を明かしてしまう…。寝ていると、石の精になった玉藻前が、女の姿となって現れた…。玉藻前は、自分が天竺の野に住んでおり、千年の功を積み、天羅国、シナの国、そして、日本で犯した悪行の数々を正直に告白し、今までの罪を許して欲しいと和尚に頼み込んだという…。
和尚は石の前で熱心にお経を読み、殺生石の霊を祀った。そして、お経が済むと立ち上がり、呪文を唱えながら、杖で3度石を打つと、ついに石は小さく割れ、欠片は各地へと飛散した。その後、旅人が通っても、災いが起こる事がなくなったという…。
ちなみに、この話は、室町時代に御伽草子や謡曲として演じられた他、江戸時代に入ると、人形浄瑠璃や歌舞伎でも人気を集めた。書物としては、高山蘭山「絵本三国妖婦伝」や式亭三馬「玉藻前三国伝記」に残っている。
また、玉藻前のモデルは、鳥羽上皇に寵愛された皇后・美福門院(藤原得子)と言われている。名家出身でもない彼女が、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策したり、保元の乱を引き起こしたりといった行動は、悪女に見えたんでしょうね。この殺生石、実は今でも那須湯本温泉近くにあって、現在でも怪しげな雰囲気を漂わせ、人たちを惹きつけているんですけどね…。
[2011.10.15]
2000年11月2日、「タイムトラベラー」と名乗る人物が、アメリカのインターネットの掲示板に現われた!その名はジョン・タイター…。未来からやって来たというその人物は、軍事目的で1975年にタイムトラベルをした後、この時代に立ち寄ったという…。タイターは、タイムマシンの操縦マニュアルや写真を公開したり、質問に対して回答するなど、当時の人々との対話を掲示板に残した。彼が現われたその日から、多くの人がタイターと共に掲示板上で論議を交わし、全米中がその行方に注目していたという…。
[2011.10.01]
フランス南部・ピレネー山脈の麓に位置するルルドは、人口15000人ほどの小さな村なのですが、年間400万人もの人々が奇跡を求めて訪れる世界最大級の聖地である事は、皆さんもよくご存知なのではないでしょうか?人々の目的は、病気の治癒で有名な「ルルドの泉」であり、日本でも多くのルルドの泉訪問ツアーが組まれている。実は、この奇跡の泉は自然に出来たものではなく、その誕生には、一人の少女が関係している…。
[2011.09.15]
日本最西端の町として知られている、八重山郡の与那国町…。近年、島の南側の海底で人工建造物のように見える巨石群が発見され、これが「海底遺跡」ではないか?ムー大陸の一部ではないか?と注目を浴びたのを覚えている方も多いと思います。新聞にもデカデカと載ってましたしね…。昭和61年(1986)、与那国島周辺の潜水調査をしていたダイバーが自然物には見えない構造物を発見し、「遺跡ポイント」と名付けた事から広く知られるようになった…。
[2011.09.01]
東京の大手町は、高層ビルが立ち並ぶ日本有数のオフィス街なんですけど、その中にポツンと小さな緑地が見える…。一見すると公園のようなんだけど、よく見ると数本立てられた幟にこう書かれている”将門塚”…そう、そこは世紀の大怨霊と恐れられている、平将門の首が眠っているという場所、首塚がある。
[2011.08.15]
秋田県大仙市協和境にある唐松神社は、かなり不思議な雰囲気というか佇まいを持った神社で、訪れた者を驚かせずにはいられない…。通常、日本の神社で社殿へ辿り着くには、鳥居をくぐり、石段を上がり、上の方へ向かって行くのが通常というか、一般的なんだけど、ここの唐松神社では、杉の大木がそびえる参道を徐々に下り、低地の社殿へ到るという独特の空間配置がなされている。参道より下がった位置に神様を奉るという尋常ならざる空間配置は、他には奈良県の広瀬神社等にも見られるが、極めて稀な例であるのは間違いない…。
[2011.08.01]
世界七不思議に続く、8番目の謎と言われる「失われた琥珀の間」というのを皆さん知ってますでしょうか?琥珀の間とは、ロシアの女帝エカテリーナ宮殿の中に作られた一室で、1716年にプロイセン王からピョートル大帝に友好の証として贈られたもの…。プロセインの首都ベルリンから運び込まれた琥珀の間は、その後1770年にエカテリーナ2世によって装飾され、完成した。壁一面に金、その上から約6トンもの琥珀の装飾が施され、豪華絢爛の一言だったという…。
[2011.07.15]
20世紀初頭、帝政ロシアのロマノフ王朝の宮廷に我が物顔で君臨した自称・祈祷僧のラスプーチン…。謎に包まれた経歴や特異な風貌から「怪僧」と呼ばれたが、彼の実像は未だに不明な点が多い。今、写真なんかで彼の風貌や姿見ても、異様なオーラというか、異質なもの感じる方も多いと思いますし…。
[2011.07.01]
かれこれ即身仏さまの事を紹介し始めて、7回目になるんですね。(笑)どういう訳か、即身仏さまの記載は人気があるようで、懲りずに今回は日本の国内で、一番古い即身仏さまを紹介しようと思います。即身仏の信仰は、元々、弥勒菩薩が56億7000年後、この世の中に下生して、全てのものを幸せにする…という、弥勒信仰がベースにある事は、よく言われる事なのだけど、その弥勒菩薩の下生をもう600年以上も待っている方が、この弘智法印さまで…
[2011.06.15]
奈良や平安の時代は、国の機関として、占いをする機関があって、以前書いたように、陰陽寮があって陰陽師が活躍していた…。当時の日本は、制度や学問、文化等、あらゆる事を唐から学んでおり、律令制度も唐の影響を色濃く残す制度で、陰陽寮もその一つであったのだけど、唐から百済を経て入って来たものには、「典薬寮」というのもあった。書いて字のごとく、医療を扱う役所で、典薬寮とは、国のというか、今で言えば宮内庁お抱えの病院と言えば解りやすいですかね?