[2020.01.07]
12月29日の朝にメールを開いたら、懐かしい人からメールが届いていた。それはベトナム人の若い女性のFさんだった。
メールには「29日の夜行バスで神戸から東京駅に着く。久し振りに会いたい」とあった。
前日の連絡なので、今回の私は用事があり午前中しか空いていない。
彼女は以前に実習生として日本で働き、帰国後に再度、留学生で日本に来たのである。
東京駅丸の内口で。
[2019.12.21]
(2016年12月07日)
ベトナム人で日本人も知っている名前と言えば、ホーチミンが有名である。正式には「ホー・チ・ミン」という名前で、ベトナム戦争後の統一ベトナム民主共和国の初代首席であり、国民からは「ホーおじさん」と呼ばれて親しまれている。
しかし少し時代を遡ると、フランスの圧政から独立を目指し日本に密航して勉強をし、当時のベトナムの若者達に大いに影響を与えた男がいた。
ファン・ボウ・チャウ
【ファン・ボイ・チャウと浅羽喜太郎の交流】
[2019.12.18]
(2015年12月09日)
パリのテロ事件により放送が延期となっていた
「未来世紀ジパング」の放送が、やっと12月7日になり放送となった。
番組のサブタイトルは「池上彰が行く、アジア沸騰街道900キロ」である。
テレビ番組「未来世紀ジパング」より。
[2019.12.08]
(2015年12月29日)
台湾旅行中に気の付いたことや、疑問に感じたことを書き記してみた。
私達の滞在中は冬なのに、67年振りという30度を越す暑さで参った。
私は半そでシャツで汗をかいているのに、台北の女性はダウン・ジャケットを着ている人が多い。お洒落のつもりか、寒がり屋なのか不明だが、相当の我慢が必要なはずだ。
左は「花生豆花」、右は「愛玉」。どちらも40元。
[2019.12.07]
(2015年12月28日)
ホテルの朝食はバイキング方式である。
1日目は洋食、2日目は和食を食べたので、最終日は中華料理とする。
ウーロン茶をもらい、「お粥」をメインにして中華料理のおかずを食べる。3日目ともなると、朝食レストランの係員も顔馴染みとなり、愛想が良い。
中心街の中山。左右に三越デパートがある。
[2019.12.06]
(2015年12月27日)
朝食を1人で食べてから部屋で少し休み、10時なったので3人で外に出掛ける。地下鉄の「東門駅の店で買いたいものがある」と娘が言うので、お付き合いである。
この街は日本人観光客が多く来るようで、日本語の看板が多い。
目当てのお茶屋が分らず、ウロウロして地元のお兄さんに聞く。
町はバイクが多く、ベトナムを思い出す。
でもベトナムと違い、バイクも交通ルールを守っている。
[2019.12.05]
(2015年12月26日)
2日目は出来るだけ地下鉄を利用して移動をすることにした。
台北の地下鉄は
「路線が6つ」あり、大体のところには地下鉄で行ける。
車両は川崎重工業製とシーメンス製の2種類があり、ホームには開閉式のドアがある。
台北の地下鉄ホーム。
[2019.12.04]
(2015年12月25日)
「勝どき通信」の定期便が来ないので、「入院でもしたかな?」と思っていた人もいるかもしれないが、実は家族3人で3泊4日の台湾旅行に行っていました。
今回が私にとって人生最後の海外旅行になりそうなので、女房、娘の希望を何でも受け入れて気ままな旅をして来た。
「EVA航空」はハローキティでお出迎え
[2019.09.09]
引退して「毎日をどう過ごそうか?」と悩んでいる人が多いように思う。私は女房を縛り付けないように、「昼ご飯は家で食べない」と決めているので、毎日、家を出るが「行く先」に困る時もある。
以前は東京都や中央区からのお知らせの折り込みは読まなかったが、最近はネタを探して読むようになった。
大きな半円形のバルーンが置いてあった(新宿中央公園)
[2019.09.02]
ネタが切れたので、昔話で我慢して欲しい。
誰でも年を重ねて行くと、「あの頃は・・・」ということが増えて来る。
悪いこともいっぱいあったが、それは忘れてしまい良いことばかりが心に残る。これは高齢者の特権かもしれない。
「あの頃は良かった」という話はいっぱいあるが、今回は外食の話である。
「パリ」のエッフェル塔。