■あの頃は・・・。
ネタが切れたので、昔話で我慢して欲しい。
誰でも年を重ねて行くと、「あの頃は・・・」ということが増えて来る。
悪いこともいっぱいあったが、それは忘れてしまい良いことばかりが心に残る。これは高齢者の特権かもしれない。
「あの頃は良かった」という話はいっぱいあるが、今回は外食の話である。
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私は従来より「講釈」や「自慢話」は好きでない。
どうせバカにされるのが分かっているからだ。
今回の話は、ただの私のノスタルジーと受け取って欲しい。
みんな昔の話である。
私の女房は娘が生まれた頃から料理の仕事を始めて、私のリタイアに併せて彼女も辞めた。そんなことから彼女の仕事に関係して、現役の時は色々な有名レストランに一緒に行ったことがある。
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最初に行った有名レストランは、西麻布にあった「クイーンアリス」というフランス料理店だった。有名オーナーシェフの石鍋裕氏の店で、細い路地を入った目立たない場所にあった。
美味しかったかどうかは忘れた。
この頃から料理人がテレビに出て、持て囃されるようになった。
その後、この店は閉店となってしまったようだ。
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私の誕生日に根岸にある「KIHACHI」に行った。
オーナーシェフは、熊谷喜八氏である。
ここもフランス料理であったが、美味しかったかどうかは忘れた。
そもそも私はフランス料理があまり好きじゃないが、女房とのお付き合いだった。その後、この店も閉店となってしまった。
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四谷の学習院初等科の裏手に「オテル・ド・ミクニ」がある。
この店はオーナーシェフの三国清三氏の経営で、今でも人気があるようだ。
私は女房に誘われたが、テレビのドキュメンタリー番組でみた厨房での三国氏の態度に嫌気がさして私だけ行かなかった。
彼はミスをした弟子を怒鳴りつけ、足で蹴飛ばしていたからだ。
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年齢が上がるにつれて、女房も興味がフランス料理から和食に移った。
最初に行った高級店は新宿にある「梢」だった。パークハイアット・ホテルの高層階に店はあり、美味しかったことを覚えている。
他には神楽坂の「石かわ」、西麻布の「たなか」、銀座の「よし澤」などに行った。こ3店はカウンター式で、オーナーの調理作業を見ながら会話をし、これが私は好きだった。
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さて「あの頃は・・・」であるが、これらの店には「あの頃」に行った話なのである。まだ現役で、比較的、お金にも余裕があり、料金を気にしなかったから行けた。
今でも女房は友人達と行っているようだが、人生の終りまで「あとなん年」かが分からない私には気持ちの上でとても行けないのである。
それよりも、「特に行きたい」とも思わなくなってしまった。
明日のランチはどこで、なにを食べようかなー?
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(おまけの話)
娘がスイスに留学し、卒業の時期に合わせて女房と一緒にパリのホテルで待ち合わせた。そこでレンタカーを借りて、南に下りモナコまで、6泊7日の行き当たりばったり旅をした。
3日目にマルセイユに着いたところで、女房が私に言った。
「ここにはプチニースというオーベルジュがあると、グルメ作家の池波正太郎がエッセイに書いていた」。
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オーベルジュの「プチニース」の名前だけを頼りに、町の人に聞き探しながら店に行った。
細い石畳の一車線の路地を進むと行き止まりとなり、そこに鉄門があり、その先がプチニースだった。
日本人が来たのが珍しいらしく、オーナーは親切で、奥からサイン帳を持って来て見せてくれた。
そこには池波正太郎と、平成天皇が皇太子時代に来たサインがあった。
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そうなるともう引っ込みがつかないので、ここに泊まることにした。
夕食は「フォーマルで」とオーナーに言われていたので、暗くなってから背広で出て行った。
地中海に突き出たテラスで、既に大勢の客が着席していた。
驚くことに、映画に出てくるような場面がそこにあり、白人男性はタキシード、女性はロングドレスだった。
東洋人は私達だけで、かなり緊張して食事をした。
翌日のお勘定でびっくりした。
現在の貨幣価値で、3人で40万円も支払った。
人生最初で最後の贅沢だった。
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私達は海側の一番良い席を用意されていた。
この手前に宿泊施設があるが、その日の宿泊客は私達3人だけだった。