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[2007.07.09]
伊達のミュージシャンでもある小松建設の小松社長から携帯電話にメールが入った。 
小松建設が建てた注文住宅が今なら見ることができると言う。『お宅拝見』が大好きな私の女房は『是非とも見せて欲しい』と言う。 
 
最初のお宅は弄月町のX邸である。 
平屋の40坪くらいの立派な家だ。引き渡し前の1週間くらいを施主の好意で見せている。 
自然木のカラマツをふんだんに使った自然派の家である。暖房は床暖房で、夜間の電気料金の安い時にお湯を温めておく蓄熱方式を採用している。 
 
また、以前に住んでいた住宅に使われていた欄間と違い棚を新しい家にも思い出として使っている心配りの設計をしている。私は小松社長に聞いた。『この家のこだわりはなんですか?』小松社長の答えは『ホタテ漆喰壁とホタテ漆喰パネルです』と言う。 
 
これは彼が以前から熱心に取り組んでいるホタテ貝の貝殻から作る塗り壁と、それをパネルにしたタイルである。ホタテの漆喰は呼吸をすると言う。だから化学建材と違い、ハウスシック症候群などは無い健康建材である。 
[2007.07.06]
網代町のお祭り『スマイル・フェスタ』の時にホテル・ローヤルの夫婦に出会った。 
『スローフードの会で伊達のブランド化を狙って開発した(だて四季のスープ)を飲んで、その評価を聞かせて欲しい』とK社長から言われているのだが、忙しくて、まだ買いに行っていない。 
 
そのことを言った為に、それではと奥さんは自宅まで取りに行ってくれた。そして、4種類の冷凍保存したスープをプレゼントしてくれた。なんだか催促したみたいで申し訳なかった。 
 
伊達の観光と食材でブランド品を作ろうという企画を『食と観光の地域ブランド創出支援事業実行委員会』というところで考えた。でも、委員会の名前が長過ぎるな~。 
このスープの開発事業は『だてスローフードファクトリー』という会が行っている。 
 
私も昨年の夏に1回だけ試食会に参加したことがある。その後、このスープが開発されて、この度、めでたく商品化されたのだが、その製造をホテル・ローヤルが行っているという関係で、ローヤルの奥さんが私に試食用の冷凍スープをプレゼントしてくれたという経緯がある。 
[2007.07.04]
私の常識では『ふぐ』は冬の食べ物である。 
ところが、昨年の夏に伊達市のI医師が『橋本さん、夏のふぐを食べたことがありますか?』 
と私に聞いた。私は『食べたことがない』と答えると、『伊達では夏にふぐを食べられるのですよ』と予想外の話があった。そう聞けば夏でも食べたくなるのが人情というものだ。 
 
それから1年が過ぎて、また私は今年も伊達市にやって来た。早速、I医師に来訪を告げた。するとすかさずメールが入り、『30日にすずひろでふぐを食べましょう。都合が良ければ予約をします』と伝えてきた。 
 
『すずひろ』というのは錦町にある和食の名店である。夫婦2人で切り盛りしているが、丁寧な仕事に定評がある。だが、ふぐを必ず食べられるという保証は無い。 
ふぐがその前の日に水揚げされないと食べられない。そこで、前日にIさんが確認した。 
幸いにもふぐは揚がっていた。 
[2006.10.05]
伊達紋別駅から程近いところに錦町という場所がある。 
今は室蘭本線が通っている伊達紋別駅だが、昔は胆振線という線がこの駅から分かれて始発になっていた。今は廃線となり、駅前は寂しい。これも列車から車社会へという近代化の影響だ。 
 
その影響を最も受けたのが錦町である。昔はこの錦町が町の中心で、かなりの賑わいだったと長老から聞いた。現在は大型店の進出により、賑わいは東へ東へと移動している。 
 

[2006.10.02]
我々がコテージに滞在している間はラーちゃんは市内のMさん宅に里子に出されている。1週間に1度くらい好物のホタテを持って面会に行っていた。まるで、刑務所に入れられた服役囚のようだ。 
 
個室を与えられているラーちゃんだが、隣室の大型犬のボルゾイとは仲が悪い。ボルゾイが窓から覗くとラーちゃんが引っ掻くので、いつも彼は鼻先を怪我している。先日は病院に連れて行ったそうだ。 
でも、Mさんはいい人なので、私に文句を言えない。 
 
もし、言われたらどうしようか? 
『ラーちゃんに引っ掻かないように言っておきます』としか言えない。 
[2006.08.17]
伊達信金のロビーにはクマさんの製作した作品の大きな時計がある。クマさんとは言わずと知れた『鉄の芸術家』の篠原勝之である。 
 
タケシの『なんでもピカソ』というテレビ番組のレギュラーメンバーで、頭を丸めた僧侶のようなモダンアートの代表格である。 
クマさん
伊達信金の楽木理事長は出張の度に飛行機に乗るが、そんな折に何回かクマさんと座席が隣り合わせた。 
 
そんな偶然からクマさんと親しくなり、伊達信金が11年前に本社ビルを建てた時に、シンボルとなる大きな時計を製作してもらった。 
 

[2006.07.28]
伊達紋別駅近くにチロルという洋食屋がある。 
 
 
ここのオヤジさんのNさんは私の伊達での写真の師匠だ。頭を短く刈り、髭を生やしたところは解脱した高僧のようだ。 
 
高僧と違い笑顔を絶やさず、その笑顔がまたいい。 
風景画を撮らせたら、右に出る者は居ないと私は本気で思っている。 
[2005.11.12]
11月8~11日までお台場の東京ビッグサイトで建築関係の見本市が開かれていました。 
ここに伊達の『希望の星』のKさんの経営する藍杜工房(あいもりこうぼう)が出展をしています。 
 
KさんはK建設という伊達では老舗の建設会社の社長でもありまして、元フォークソングの『手風琴』のリーダーでした。 
[2005.09.29]
伊達に来て気になっていることがありました。 
山から下りて町に入ると右側に立派な神社があります。 
その名を伊達神社と言いまして、由緒正しい佇まいです。 
 

[2005.09.19]
伊達市は全国でも珍しく人口が増えている町です。 
そのせいか、この町には大小様々な建築会社が多くあります。 
 
この町で知り合ったお友達にそんな建設会社の社長が3人います。 
ある日、A建設のA社長が『わが社のモデルハウスを見て、その評価をしてもらえませんか?』と話がありました。 
 

プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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