九州・大分県の北部に位置する宇佐市。その宇佐にある宇佐八幡宮は、全国で2万4千社以上ある八幡神社の総本宮でありますが、実に不思議な神社と言われている。そもそも「八幡」という祭神の名前からして奇妙で、「ハチマン」と読むのが一般的ですけど、奈良時代までは「ヤハタ」と読まれていたらしい…。「ハチマン」の神様は元々「ヤハタ」の神様だった訳で…。
このヤハタの神は欽明天皇の時代(6世紀中頃)に宇佐に現れ、自らを「誉田天皇(応神天皇)広幡八幡麻呂」と名乗ったという…。そのため、宇佐八幡宮の祭神は応神天皇という事になっている。ところがその神の姿は、「体は一つだが、頭は8つもある鍛冶の翁で、彼に近づくものの大半は死んだ。その後、翁は金色の鷹と、金色の鳩に変身した」と記されている。まさに「異形の神」で、一体どこが応神天皇なんでしょうかね?

ヤハタの神は、積極的に広報活動も行っていたみたいで、奈良時代、東大寺で大仏が建立された時には、宇佐八幡宮の禰宜(神職)だという尼がやって来て、八幡神は大仏建造に協力し、陸奥から黄金が寄進されるという託宣(神のお告げ)があったと伝えている…。
この頃には八幡の神に「護国霊験威力神通大自在王菩薩」という号も与えられていますが、そもそも「菩薩」は仏教の信仰対象ですし…これをきっかけに、全国の寺で守護神として八幡社が勧請されるようになるのですが、結構奇妙な話ですよね…?
宇佐八幡宮で最も有名な事件と言えば、天皇の座を巡って神道と仏教が真正面から対決した「道鏡事件」で、道鏡は奈良時代の法相宗の僧侶なんですが、女帝である称徳天皇の側近として絶大な信頼を得ていた。その女帝が暴走し、道鏡を天皇にしようと考えた…。この時、「宇佐八幡の神が、道鏡を天皇にすれば国家は安泰になるだろうと告げた」という噂が流される。称徳天皇は早速確認のために使いを出す。それが和気清麻呂で…ところが和気清麻呂は、八幡神からこんな託宣を受ける。「古より天皇と臣下の別は明確である。臣をもって君に代える事は出来ない」明確なる八幡神からの拒否だった。

それにしてもさ…ここでも不思議なのは、都から遠く離れた九州の八幡神が、天皇継承権にまで口出し出来るほどの信頼と力を持っていたか?何故それほどまで、宇佐の八幡神は重視されていたか?逆に言えば宇佐には一体何があるのか?
その理由を、邪馬台国の卑弥呼に求める説がある!一説によれば、天皇家の祖神であるアマテラスは、邪馬台国の卑弥呼が神格化されたものだともいわれている。邪馬台国が何処にあったのか?は、諸説ありますが、未だに結論が出されていませんが、そのうちのひとつに「九州・宇佐説」というのもある。
それによれば、邪馬台国は現在の地で、卑弥呼の墓も宇佐八幡宮の境内にあるとも言われている。というよりも、宇佐八幡宮の本殿は、卑弥呼の墓の上に建てられているらしい…という説もある。出所は曖昧ですが、かつてそこから石棺が発見されたという噂もある。
そしてもうひとつ、宇佐八幡宮の祭神は八幡大神(応神天皇)と神功皇后、比売大神である…。その比売大神は「ヒメミコ=ヒミコ」なのではないか?というのですわ…。
もしも邪馬台国が大和朝廷のルーツだとしたら、卑弥呼は日本神話のアマテラスにあたる可能性もある。いや、だからこそ朝廷で大事が起こった時には、常に八幡神=卑弥呼の託宣が重視されたのかも知れませんね…?
藤原京・平城京・平安京…当時の都は中国からの風水思想に従って四方に守り神というか四神獣が置かれて、風水的にも霊的にも守護されているはずだった…。平安京では、過剰なまでに風水による厳戒態勢が敷かれていて、四神の霊的結界を張ったのはもちろんの事、鬼神が侵入するとされる北東の鬼門の方角には比叡山が置かれ、いかなる魔物も侵入を許さない布陣を張っていた…。
岡山県、桃太郎のルーツともされる観光名所「吉備津神社」から歩いて10分ほどという好立地ながら、観光客の姿をあまりみかけない、この「鼻ぐり塚」…。奉納されている物の形態のヘビーな見た目と内容がその理由とは思いますけどね…。
戦後から今も教会で結婚式を挙げる方が多いでしょうかね…?キリスト教式の結婚式に押されて来た神前結婚式ですが、ここ数年は若干増加の傾向にあるようで、「和」を見直し、回帰する若い人が多くなっているそうで…。特に結婚を惹きつけているのが「和装」だといわれている。普段は洋服を身に着けているでしょうから、人生の節目である結婚式は、日本の伝統衣装である白無垢を身にまといたいと思うんでしょうかね…?
♪恋するフォーチュンクッキー~♪って、どこかの歌じゃないけど、中華街なんかへ行くと、年から年中売られている占いが入ったお菓子ですよね?北海道の方は、あまり馴染みがないかも?ですけど…。このフォーチュンクッキーのルーツといわれるものがある…。
5世紀頃、第16代仁徳天皇の時代、飛騨に「両面宿儺」という化け物が現れた。両面宿儺は身の丈1丈(約3メートル)、2つの顔と、4つの怪力の手、4つの俊足の足を持ち、2本の剣と4組の弓矢を操って、人々を殺していった。天皇は難波根子武振熊を派遣し、激しい抵抗にあいながらも宿儺を討伐。その遺骸から首を切り落とし、首を都に持ち帰った…。
最近、意外とタトゥー入れてる方を結構見る…。あえて入れ墨と言わせてもらいますけど、世界中のあらゆる場所で、古代人類は入れ墨の文化を持っていた。北極圏から南極圏まで、様々な地域で、入れ墨は世界共通、同時発生的に生まれたとされている…。
夏本番を迎える7月の下旬は、街のいたる所で「うなぎフェアー」が開催されますよね?「土用の丑の日は、うなぎを食べよう!」そんなキャッチフレーズが広告に踊ります。まぁ、栄養価の高いうなぎを食べたら、夏に向けてスタミナつくかも知れませんね…。ビタミンもミネラルも豊富だし、夏バテに効果もありそうではありますけど…。
北海道にもゴールドラッシュがあった事知っていますかね?冬には流氷が訪れ観光の拠点となる紋別から南に20キロほど下った郊外には、かつて鉱山の町として栄えた鴻之舞という地名が残っている。今では朽ちかけた廃墟ばかりが残るこの場所はかつて金山の町として栄え、鴻之舞金山は”東洋一の金山”として名前を轟かせていた時代があった…。
「史記」項羽本記の一節に次のような話がある…。鴻門の会の直前、沛公(劉邦)は快進撃を続け、秦の都咸陽を破り関中に入って王を捕らえようというところまで来た。それを知った項羽を怒り、沛公を攻撃しようとする。沛公の兵10万に対し、項羽方40万…。