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[2016.08.01]
■入れ墨
 最近、意外とタトゥー入れてる方を結構見る…。あえて入れ墨と言わせてもらいますけど、世界中のあらゆる場所で、古代人類は入れ墨の文化を持っていた。北極圏から南極圏まで、様々な地域で、入れ墨は世界共通、同時発生的に生まれたとされている…。 


 サルから人類に進化する過程で失われていったのが体毛とされていますが、顔や全身を覆う毛は、敵と味方を識別したり、模様によって異性にアプローチする等、社会的な役割があった。その代替えが入れ墨だと言われている。古代の日本では誰しもが入れ墨をしていたと、「魏志倭人伝」にもある。この時代の埴輪にも入れ墨が施されていたりもしますしね…。 
 
 また体毛は、体温調整、クッション等、身を守るものでもあったので、人類はその代わりに入れ墨を施し、護身の願いを込めたんですよ。やがて呪術的な意味合いを持ち、特定の文様の入れ墨が、魔除けの効力があるとされた。死後、あの世に渡るために必要な「印」だという地域もあったようで…。関節痛や神経痛の治療として施される事もあり、沖縄や北海道の他、熊本県でも近年まで残っていた。現代の鍼治療に相当し、やはり古代から続いていた。 
 こうして受け継がれて来た入れ墨文化ですが、儒教が広まるにつれて廃れていった。再び注目されるのは、江戸時代に入ってからで、それも”刑罰”としてであった。犯罪者に与えられる刑の一種類として、顔面や腕への入れ墨が課せられた。一目で前科者と分かってしまうため、その後の人生は苦しいものとなった。自ら墨を消し、これが発覚してさらに入れ墨を彫られる事もあったようで…。 
 こうして再び世間に現れた入れ墨は、遊郭でも流行したようで、遊女と客とが、互いに握手をした時の親指の位置に、ホクロのような入れ墨をしたという…。これを入れボクロと言った。相手の年だけホクロを入れる遊女もいたようで、指切り同様、客にとっては重い誓でもあったという…。遊郭の流行が市中に伝わっていくのは江戸の常。ファッションとしての入れ墨が隆盛する。浮世絵風に龍や虎、桜を描く日本独特のスタイルもこの時期に作られた。やがて明治政府によって、入れ墨は法律で禁止された。法的に自由になるのは第二次大戦後ですが、守り神的に入れているの外国人は多いんですけど、日本人ってどうなんですかね? 
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PROFILE
タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
占いに使うアイテムは、タロットカード、占星術、など、多岐にわたりますが、アイテムをガイドとして使いながら、霊感によって、その人の本質を霊視します。  
この仕事についたのは、運命だと思っています。 
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