■鬼
鬼のイメージって皆さんはどんな姿を想像するでしょうか?額から角が生え、眼光鋭く、口が耳まで裂けて牙が覗いている等、の姿でしょうか? よくTVや雑誌の怪奇特集に出て来る鬼のミイラと言われる物も確かにそんな特徴ではありますが…あれは人骨や動物の骨や皮で作った模造品がほとんどで…。
特に、江戸時代はこんな”鬼のミイラ”等が盛んに作られたようなのね。
幽霊画と言われるものもこの類で、この時代かなり盛んに描かれるようになった…。
円山応挙みたいな有名な画家さんまで描いちゃってるし…。
この頃は現代と違って、街灯がある訳じゃないし、照明設備がしっかりしてた訳じゃないから、夜はもろに”漆黒の闇”、とにかく恐ろしい時間と空間だった んでしょうね…。
その暗闇から得体の知れない、幽霊や物の怪が出て来そうな雰囲気はかなり高い訳で、江戸時代ほどそういう意味ではオカルトチックな話や芝居が爆発的に流 行ったのも頷けるんだけど、「怖いものは怖いもので防ぐ」という思考が働いた結果、多数の幽霊画や鬼のミイラ、カッパのミイラ等が作られた!というのが通 説だという…。鬼の話に戻るけど、古くから「鬼」は恐ろしいもの、人をとって食らうものとされていますが、本当に鬼は居たのでしょうか?私は「鬼」と言われ恐れられた 者達は居たと思いますが、イメージ通りだったかは、はなはだ疑問なんですよね…。
東北地方では岩手県北上市の郷土芸能である「鬼剣舞」や秋田県男鹿の「ナマハゲ」等、鬼をモチーフにしたお祭りが有名で、彼ら東北地方の人にとって鬼は 悪魔を祓い、人々に幸福をもたらしてくれる言わば神と同格のものとして言い伝えられている。
古代大和朝廷の中央政府はその当時、東北以北に住む人々を「蝦夷」(えみし)あるいは「鬼」と呼び征討の対象としていた事実があり、わが国最古の歴史書 と言われる「日本書紀」には”東夷の中に蝦夷あり。…撃って取るべし”と書いてあるそうです。
中央政府側からしてみれば東北地方はちょうど鬼門の方角で、東北地方の人々を鬼と呼び軽蔑し軍勢を差し向けて支配しようとしました…。しかし、坂上田村麻 呂が征夷大将軍となってこの地方を治めるまでは朝廷側もかなりの痛手を負ったようで、その戦いぶりが”鬼”そのものに映ったのではないでしょうか?当時の 東北地方は、遺跡からも解るようにかなりの資源と独特な文化があったようで、朝廷からしたら目障りな訳で、それも鬼として忌み嫌った理由なのではないで しょうか?また、東北地方の山々は羽黒山を筆頭に古くから修験道の修行の山も多く、その山伏の姿や風貌が人達に鬼のイメージをだぶらしたのではないでしょ うか?
本当の鬼は人や地方を差別する醜い人間の心の産物だったのではないでしょうか…?