[2020.01.17]
(2017年01月18日)
昔の日本では「早起きは三文の徳」なんて言っていたが、それは明るい時間しか働かない時代のことである。
今の時代は夕方から働いたり、深夜でも働いている人達が増えて来たので早起きは新聞配達、犬の散歩、それにジジイだけになった。
日比谷公園の松の木も「雪吊り」がなされている。
[2020.01.15]
(2015年01月07日)
東京駅が12月20日に開業100年を迎えたそうだ。
それを記念して東京駅をデザインした記念SUICAが発売された。
ところが、予想以上の購入希望者が押しかけて来て、事故を心配したJRは途中で販売を中止した。
東京駅に有楽町方面から歩いて行くと、このように見える。
(KITTEの前から)
[2020.01.13]
(2018年1月24日)
以前に和歌山県太子町のイルカの追い込み漁を扱った「THE COVE 」というドキュメンタリー映画があった。私はこの映画を見たが、アメリカ人監督は「イルカ漁は残酷だ」と考え、シーシェパードとも協力して作られた画像はプロパガンダのような気がして気分が良くなかった。
この映画は撮影方法に問題があり、立入禁止区域に入ったり、隠し撮りがあったり、漁民のインタビューを捻じ曲げたりとかなり問題のあった作品である。
「THE COVE 」・・・★★
[2020.01.10]
(2015年1月13日)
月刊「文芸春秋」の後ろの方に「オヤジ」、「おふくろ」というエッセイのページがある。
どちらもある程度の有名人が自分のオヤジやおふくろに付いて、思い出を書いているページであり、私はここを読むのを楽しみにしている。
文芸春秋 「オヤジ」と「おふくろ」
[2020.01.08]
(2017年1月06日)
暮れの29日に家族で「ちゃんこ鍋」を食べに行った。
以前に両国にある「江戸東京博物館」に行った時に、帰り道で見掛けた「土俵のある割烹料理屋」という大きな看板が目に入った。
それを見て女房が「行きたい!」と言ったからだ。
その看板を出していた店の名は
「割烹 吉葉」である。
割烹料理「吉葉」。(周りには全く店が無い)
[2019.12.21]
(2016年12月07日)
ベトナム人で日本人も知っている名前と言えば、ホーチミンが有名である。正式には「ホー・チ・ミン」という名前で、ベトナム戦争後の統一ベトナム民主共和国の初代首席であり、国民からは「ホーおじさん」と呼ばれて親しまれている。
しかし少し時代を遡ると、フランスの圧政から独立を目指し日本に密航して勉強をし、当時のベトナムの若者達に大いに影響を与えた男がいた。
ファン・ボウ・チャウ
【ファン・ボイ・チャウと浅羽喜太郎の交流】
[2019.12.19]
(2014年12月08日)
ある日の新聞記事に驚いた。
「ヤギを盗んで食べた」という見出しがあったからだ。
事件は岐阜県で起きたのだが、ベトナム人のアルバイト3人が大学で研究用に飼っていたヤギ2頭を盗んだ。
大学の被害額は7万円くらいらしい。
(今回の写真は全て私がホーチミン市に滞在中に撮影したものです)
市場の肉屋。 冷蔵庫は無い。
[2019.12.18]
(2015年12月09日)
パリのテロ事件により放送が延期となっていた
「未来世紀ジパング」の放送が、やっと12月7日になり放送となった。
番組のサブタイトルは「池上彰が行く、アジア沸騰街道900キロ」である。
テレビ番組「未来世紀ジパング」より。
[2019.12.08]
(2015年12月29日)
台湾旅行中に気の付いたことや、疑問に感じたことを書き記してみた。
私達の滞在中は冬なのに、67年振りという30度を越す暑さで参った。
私は半そでシャツで汗をかいているのに、台北の女性はダウン・ジャケットを着ている人が多い。お洒落のつもりか、寒がり屋なのか不明だが、相当の我慢が必要なはずだ。
左は「花生豆花」、右は「愛玉」。どちらも40元。
[2019.12.07]
(2015年12月28日)
ホテルの朝食はバイキング方式である。
1日目は洋食、2日目は和食を食べたので、最終日は中華料理とする。
ウーロン茶をもらい、「お粥」をメインにして中華料理のおかずを食べる。3日目ともなると、朝食レストランの係員も顔馴染みとなり、愛想が良い。
中心街の中山。左右に三越デパートがある。