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[2020.01.08]
■ちゃんこ鍋を食べる
(2017年1月06日) 
 
暮れの29日に家族で「ちゃんこ鍋」を食べに行った。 
以前に両国にある「江戸東京博物館」に行った時に、帰り道で見掛けた「土俵のある割烹料理屋」という大きな看板が目に入った。 
 
それを見て女房が「行きたい!」と言ったからだ。 
その看板を出していた店の名は「割烹 吉葉」である。 
 
割烹料理「吉葉」。(周りには全く店が無い) 
 


店の名前にもあるように「吉葉」というのは昭和29年に横綱になった吉葉山に因んで付けられている。その頃の相撲人気は大変なもので、私が中学生だった頃に父親に連れられて両国国技館に初めて相撲を見に行った。 
 
その時の結びの一番の取り組みが横綱・吉葉山と横綱・鏡里で、凄く興奮したことを覚えている。  
 
店の入り口に掲げられた写真。左側が吉葉山。(かなりハンサムである) 
 
 
割烹「吉葉」はその吉葉山が開いた部屋である「宮城野部屋」の場所に建てられていて、当時の吉葉山も稽古した土俵がそのまま残っている貴重な歴史記念館でもある。 
 
午後7時に予約して、都バスで出掛けた。家から30分で行ける。 
 
宮城野部屋で使われていた本物の土俵。 
右上に見える「砂被り席」は席料が3000円プラスされる。 
 
 
店に入ると先ず目に入るのが大きな土俵だ。 
案内係の女性に先導されて予約してあった土俵際の席に向かうのだが、そこで困った。 
 
土俵というものは「神聖なもの」なので、現在でも女性の立ち入りは禁止である。女房と娘がオズオズしていると、係の女性が「ここはお店なので入っても大丈夫です」と言った。 
 
美人姉妹による津軽三味線の演奏。 
 
 
草履に履き替えて土俵の上を歩いて進む。 
我々は早くから予約していたので、案内された席は土俵際の正面席の小上がりである。 
 
目の前が土俵だったが、テレビ中継で映るので有名人が座りたがるのは向正面である。席に着くと、すぐに若い女性2人による津軽三味線の演奏が土俵で始まった。 
 
相撲甚句を演じる。 左の男は元力士だったそうだ。 
 
 
次に元力士と相撲関係者らしい男性3人と、力士の娘による相撲甚句が始まった。それが終ると大相撲初場所の番付表が販売される。 
 
本来の値段は50円らしいが、お客はご祝儀として割り箸に挟んだ1000円札を持って土俵に上がり 番付表をもらう。 
古き良き時代の名残がここに生きている。 
 
お客が割り箸に1000円札を挟んで土俵に上がると、それを腹帯に差して番組表をくれる。 
 
 
一連の行事が終り、やっと我が家は食事に専念できるようになった。 
前菜、刺身に続き「ちゃんこ鍋」が出て来た。 
鍋には野菜、豚肉、鶏肉、ホタテ、しらたき、春菊、鮭、エビなどがいっぱい入っている。 
 
最後に雑炊にして食べるのだが、出汁が出ていて美味しい。 
相撲部屋によって入る具や味が違うようだが、気が付いたのは「味が濃い」だった。 
 
平成29年の初場所の番付表。関取にはモンゴル人が多い。 
 
 
ここは外国人観光客が喜びそうだが、まだ知られていないのか、或いは値段が高いからか全く外国人を見掛けなかった。 
 
 
(おまけの話) 
中学生の同級生にU君という男がいた。 
この男の父親は新聞社の記者だったようで、特にスポーツ記事の担当だったと思う。 
 
ある時、「力士が食べている本物のちゃんこ鍋をやるから、家に遊びに来いと父親が言っている」と誘われた。 
 
「ちゃんこ鍋」には具がいっぱい。 
 
 
家に遊びに行くと、父親からちゃんこ鍋に入れる具の買い物を頼まれた。何を買いに行ったかは忘れたが、その頃はまだ日本は貧しい時代だったので肉は無かったような気がする。 
 
ハッキリと覚えているのは「酒石酸を買って来い」だった。 
それが何だか分からなかったが、酸っぱい味がした。 
 
箸置きは組み立て式の相撲取り。 
 
 
その「ちゃんこ鍋」が美味しかったかどうか忘れた。 
U君はユニークな男で、大学生の時に中退してブラジルに渡った。 
その時の言い草を覚えている。「俺には日本の早いスピードが合わない」だった。 
 
彼はどんな時でも決して走らないし、歩き方も話し方もゆっくりで哲学者のようだった。 
以前に風の便りで「農業をやっている」と聞いたが、まだ元気だろうか?ちゃんこ鍋を食べて、U君のことを思い出した。 
 
小上がりから土俵に降りる時に履く草履。 
大きな草履は力士用。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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