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[2009.12.01]
■ジャンヌ・ダルク
 彼女は果たして本当に聖女だったんでしょうか?実は彼女には、不思議な話がかなり多い…。 
 
 百年戦争の末期、イギリス軍に包囲されたフランス・オルレアン地方をみごとに救い出した一人の少女…。13歳の時に初めて神からのコンタクトを受け、その神のお告げ(聖ミカエルと言われている)のままに生涯の処女を誓い、甲冑に身を固めた17歳のジャンヌ・ダルクは、まさに奇跡を現出した女神の輝きを放っていたに違いない…。 


 その彼女が2年後に、魔女・異端者の汚名を着せられた理由は、シャルル7世の和平政策に反したからだ!とされている。シャルル7世がフランスの王位につけたのも、戴冠前に危機を救ってくれた彼女のおかげだったにもかかわらず、負けがこみはじめたとみると、手のひらを返したように冷淡に扱い、彼女がみすみすイギリス軍に捕らえられるのを傍観していたという…。 
 
 魔女裁判にかけられたジャンヌは、あくまでも”神の声に従った”と主張するのだけど、これがかえって異端の決め手とされて、ルーアンの町で火あぶりに処せられてしまう。 
 ところが、この処刑の時、ジャンヌを包んだ炎の中から、キリストの名である「イエズス」の文字が現れ、白い鳩が飛び出したという…。処刑を見に集まった群衆は、兵隊達の手で刑場から遠ざけられていたのだけど、この光景を見て、「やはり、ジャンヌ・ダルクは聖女さまだったのだ!」「本物の聖女さまを殺してしまった…」等の恐ろしい後悔の念にかられたという…。 
 
 これから5年後の1436年、ロレーヌ地方に、なんと!ジャンヌを名乗る女性が出現する。年のころは、ジャンヌが生きていたらそうであったであろう25歳くらい…。実はジャンヌ・ダルクには2人の弟、プティジャンとピエールがいたのだけど、メッツの町まで確認に赴いた2人は、そこで”紛れもない”姉と再会して驚愕する。更に次々と”生前”の彼女を知る人々が彼女に会い、驚きと歓待を持って迎えられたそうだ…。奇跡だと…。その後、ジャンヌはウルリッヒ伯爵という人物の庇護のもとで、また奇跡を起こしてみせたという。同じ年に、彼女が出した手紙の料金に関する公文書がオルレアンの町には残されている。 
 
 ジャンヌはロベール・デ・アルモアールという貴族と結婚し、2人の子供をもうけた…。これも神のお告げだったのかは定かでないけど、神に永遠の処女を誓った事を考えると、ちょっと不可解でもあるけどね…。でも、周りの人たちはごく自然に受け入れていたらしい…。1440年、ジャンヌはシャルル7世と再会を果たす。この時、招き入れた「アルモアール夫人」を、その場ではジャンヌと認めながら、後から偽物であるとの公式発表をしている。シャルルにしてみたら、かなり不気味で受け入れる事が出来なかったのかも知れないけど…。 
 捕らえられた彼女は自分がジャンヌの名をかたる偽物である事を民衆の面前で告白させられた…と「パリ市民報」は伝えているのだけど、ジャンヌはこの後メッツの町に帰り、再び「聖女ジャンヌ・ダルク」として受け入れられ、生涯を穏やかに暮らしたという…。聖女として受け入れられたという事は、やはりそれなりの根拠がどこかあったのかもね…?聖女ジャンヌ・ダルクは、はたして身を焼く炎からどのようにして蘇ったのでしょうか?イエス・キリストの復活みたいなものだったんでしょうか? 
 
 謎だらけではあるんだけど、彼女は1922年、カトリック教会によって”聖女”に定められている…。 
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タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
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