■生類憐みの令
今さら歴史の勉強をするつもりは更々ないんですけどね…。まぁ、中・高生の方は必ずと言っていいほど、テストにも出る所だからほんの少しはタメになるかも知れませんね?(笑) 1685年(貞享2)徳川五代将軍綱吉は、生類憐みの令を発した…。古来より、我が国日本では目に見えない力や仏教等の呪力で、国を守るために殺生を禁止する令を発する事が度々あったようなんだけど、生類憐みの令の場合は将軍の個人的な事情によるものだったから洒落になりませんよね…。
綱吉は1683年(天和3)たった一人の男子・徳松を急病で失ってから男子に恵まれなかった。それを心配した綱吉の母・桂昌院が祈祷僧・隆光に相談したところ「前世の殺生の報いのために嫡男が生まれないのであるから、今後は生き物全般を大切にすべし!」という助言を得た…。
隆光によれば、特に大切にしなければならないのが”犬”で、その理由は綱吉が戌年生まれだったからだという…。この隆光なる真言宗の僧は霊験の高い僧として知られていたらしく、桂昌院は誰かが病気になると必ず隆光に加持祈祷をさせており、桂昌院の腹痛が隆光の祈祷のおかげでピタリと治ったなどという記録もある。また、1701年(元禄14)10月には隆光が異常な長雨を祈祷で止めた!という記録さえ残っている。
だから!という訳でもないんだろうけど、その強い隆光の霊力を桂昌院は素直に信じ、かなりのマザコン気味だった綱吉も桂昌院の言葉を素直に受け入れてしまう…。
かくして、将軍のプライベート的な呪術に天下が巻き込まれてしまった訳なんだけど、生類憐みの令を発しても、なかなか綱吉に男子は生まれなかった。普通ならそれで、隆光の霊力を疑ってもおかしくはないんだけど、綱吉は何を思ったのか、”禁令をもっと強化しなければ効果がない”と考えたらしい…。そこで、生類憐みの令には罰則が設けられるようになり、殺生禁止!の対象となる生き物の種類もどんどん増えていった…。特に将軍のお膝元である江戸では禁令が厳しく実施され、”お犬様”なる野犬が町中にあふれ、魚類まで対象になっていたから、食肉屋はもちろん、魚屋・料理屋等は生活の手段にほとほと困るというありまさだったという…。

元禄年間は文化が栄えた一方で、庶民の人々はこの悪法によって大いに悩まされていた…。最初の発令から十余年が過ぎても綱吉に男子は生まれなかったから、綱吉はせめて娘の鶴姫の婿を世継ぎにして自分の血を繋げたかったようなのだが、その鶴姫も早世してしまう…。”生類憐みの令”という呪術的な法令は、まったくと言っていいほど効果がなかった!
1709年(宝永6)綱吉は「生類憐みの令を絶対守るべし…」と遺言して没したが、六代将軍の家宣は自分が将軍になってすぐに禁令を解除してしまう!私が家宣でもやっぱりそうしたろうなぁ~って思っちゃいますもんね…。だって、美味いものは将軍だって食べたいのは当然ですもんね…。ある意味、家宣が美味いもの食えるなら、こんな法令なんかいらん!って思ったのはまず、間違いないのではないでしょうか…?(笑)