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[2012.07.01]
■クリスチャン・ローゼンクロイツ
 神秘と伝説に満ちた薔薇十字団…まず、薔薇十字というネーミングが格好いいですもんね…。1614年、ドイツのカッセルで刊行された、編著者不明の2冊の謎めいた文書がある…。「世界の普遍的改革」の付録としてつけられた「薔薇十字団の名声(ファーマ・フラテルニタテイス)」、および「薔薇十字団の告白(フェッシオ・フラテルニタテイス)」という文書…。そこには、秘密結社「薔薇十字団」の結成と、創始者であるクリスチャン・ローゼンクロイツの伝説がつづられていた…。 


 ローゼンクロイツは、14世紀ドイツの貧しい貴族の家に生まれた。幼少期に修道院で学び、16歳の時に神の啓示を受けて、聖地エルサレムへ巡礼の旅に出る…。その旅の途上、神秘学の奥儀を極めた賢者たちが集うという神秘の都市ダムカルの存在を知り、巡礼を放棄してその都市へと赴いた。 
 
 彼はそこで、カバラや錬金術等の魔術、自然科学のほか、様々な知識を得たそうだ!ローゼンクロイツはこの時、「Mの書」という奥儀書を賢者から授けられ、ラテン語に翻訳した。「Mの書」を携え、ドイツに戻ったローゼンクロイツは、彼を慕って集まった弟子たちとともに「精霊の家」を建設し、神秘学の研究に打ち込んだらしい…。そして、そのかたわらで、貧困や病気に苦しむ人々を救済して回ったという…。「古代の叡智を駆使して世界を変革し、人々を救う」という名目のもと、ローゼンクロイツの名を冠した「薔薇十字団」はこうして生まれたとされている…。 
 この2冊の文書に書かれた薔薇十字団が掲げる革新的な神秘思想は、あっという間にヨーロッパ中の知識人や文化人の間に広まり、一大ムーブメントを巻き起こした!薔薇十字団への加入を熱望する者は後を絶たず、かの偉大な哲学者デカルトもそんな一人だったそうだ。ところが奇妙な事に、これだけ有名な存在にもかかわらず、彼は薔薇十字団員を誰一人見つける事が出来なかったという…。 
 
 人智学者シュタイナーは、謎に満ちたローゼンクロイツの人物像、そして薔薇十字団の起源をこう語っている。 
 
 ローゼンクロイツは超古代アトランティスの神々に選ばれた霊的指導者であり、秘密結社・薔薇十字団の結成は、古代の叡智を伝えようとした神の意思である!と語っている…。 
 
 1484年、106歳で亡くなったローゼンクロイツは、精霊の家の霊廟に葬られたが、数年後、一人の弟子が、その霊廟に通じる隠し戸に、こんな予言が掲げているのを見つけた…。「我は120年の後に再び甦るだろう」…。 
 
 ローゼンクロイツの死から、先の薔薇十字文書が世に出るまでおよそ130年、10年のズレはあるにしても、薔薇十字団の思想が脚光を浴びた時期と、先の予言との関係性を指摘する声もある。 
 1616年には、シュトラスブルクで第3の薔薇十字文書とされる錬金術的寓意小説「化学の結婚」がヨハン・バレンティン・アンドレーエの手により出版されたが、一説によれば、ローゼンクロイツや薔薇十字団の存在は、このアンドレーエによる創作ではないか?と見る者も多い…。 
 
 ただ、あまりにも魅力的な薔薇十字団とクリスチャン・ローゼンクロイツ…今でも世界各国には、薔薇十字の名前を冠した結社や組織が多数あるのも事実で…薔薇十字団の意志を受け継ぐ者が世界各国に散らばっており、その奥儀を密かに伝え続けているという話は、時を隔てた今でもまことしやかに語られている。 
 
 残されたた資料も薄いから、研究しようにも出来ない事ではあるかも?知れませんが、「人は神と天と地に調和せよ」と主張する薔薇十字団…妄想と傾倒を引き寄せてしまいそうです。 
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PROFILE
タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
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