[2010.05.14]
伊達市在住の医師のIさんから連絡が来て、『5月の連休に夫婦で上京する』と、知らせて来た。
私達は毎年夏にIさんの自宅に招待されて、彼の作った豪華料理をご馳走になっている。
だから、どうしても我が家に来てもらい、元料理研究家の女房の作る豪華料理をご馳走しなければならない義務がある。
我が家で寛ぐIさん夫妻
[2010.05.06]
4月のある日に、伊達のK社長からメールがあった。
『4月28日から日本橋高島屋で、伊達噴火湾文化研究所同人展が開催され、伊達からも多くの人が行きますが、来ますか?』とお誘いがあった。
女房と2人で会場に行くと、野田画伯とお弟子さんの永山画伯、廣戸画伯がいて久し振りの懐かしい顔ぶれである。
東京で見る永山画伯はお洒落をしていて、伊達の時とは別人だ。
永山画伯と作品
[2010.04.21]
伊達市は武家が拓いた町であるが、芸術の町でもある。
私の知らない隠れた芸術家は沢山いて、特に大滝地区に多い。
そんな大滝地区から
漆器作家の府川晃さんが上京した。
4月28日から六本木の国立新美術館で開催される『国展』に作品を出展する為に、その準備でやって来たのである。
府川さんから頂いた自信作のお土産(朱漆角皿)
そして国展の準備で忙しい中を、19日に新宿で待ち合わせた。私より先に来ていた府川さんは、私の予想に反して、すっかり新宿の町の風景に溶け込んでいた。
元々は小田原の出身だが、長い北海道生活で、もうすっかり北海道人になっているものと思っていた私の思い込みがあったからである。
[2010.04.15]
東京は春だというのに、伊達はまだ冬のようだ。
テレビの天気予報を見ると、北海道はいつまでも雪マークが付いている。
今年の春は全国的に遅く、なんか変だ。
地球の温暖化が言われて久しいが、温暖化と北海道の遅い春とはどんな関係があるんだろう?
そんな伊達の最近の様子を、色々な方がメールで知らせてくれた。
雪の中のコテージ (Sさん提供)
[2010.03.25]
私の前立腺癌を発見してくれたのは、伊達市在住のI医師である。
2年前の夏にヒョンなことから洞爺湖駅前のI医院で、彼の勧めでPSA値の検査をして、そこで癌が発見されたのである。だからI医師は私の命の恩人でもあると言える。
そんなI医師の奥さんと、カナダへ留学していて一時帰国したお嬢さんと、そのルームメイト(メキシコ人)が東京に来ていると知った。
そこでお世話になってばかりの私が恩返しを出来る良い機会だと思い、東京見物の案内を申し出た。
浅草からスカイツリーを見る
[2010.03.23]
私がインドへ行っている間に、農家のSさんから越冬ジャガイモの『わせしろ』が送られて来ていた。
越冬わせしろは相変わらず甘くて美味しいが、今回はSさんの友人の育てたリンゴも入っていた。
これが・・・・。
女房がそのリンゴを使ってアップル・ケーキを作った。
スポンジケーキの上に乗った薄切りリンゴが、甘酸っぱい味がして美味しい。
この上に生クリームをかけたら、更に美味しくなった。
こうなった。
[2010.02.19]
伊達市に季節移住をするようになって、今年で8年目になる。よくまー続いていると思う。
今までにも色々なところに毎年行ったりしていたが、そんなには続かなかった。
長いところではタイのチェンマイに3年続けて滞在しに行った。とても面白かったが、飽きた。
マレーシアのキャメロン・ハイランドにも滞在した。
でも、しっくり来なかった。
チェンマイの花
[2010.02.18]
これだけ毎日のようにブログを書いていると、ネタの無くなる時もある。
そこで準備しておいたのが、『マンホールの蓋』である。
なぜマンホールの蓋かと言うと、NHKの衛星放送で
『熱中時間・忙中”趣味”あり』という番組がある。
下水道(小金井市)
この番組では普通ではないと言うべきか、トンデモナイ趣味の人が登場して、自分の趣味の自慢をする。
私でも驚くような趣味の人が世の中にはいるものだ。
[2010.01.22]
リタイアすると盆暮の贈物をすることも少なくなるし、まして頂くことは殆どなくなる。そうなると、そんな義理でやっていた習慣から離れて、却ってサッパリして良いと思うようになった。
ベトナム人社長の会社から
義理ではないが、私が特別顧問をしているベトナム人社長の会社からソーセージが来た。
研修生を派遣している食品会社の製品だそうだ。
[2010.01.20]
昨年の冬に伊達市の農家の菅原さんから『寒〆わせしろ』を送ってもらった。これを食べて驚いた。
甘いのなんのってー!。まるでサツマイモのようだった。
(注)『寒〆わせしろとは越冬して、甘みの増したジャガイモです。』。製法はマル秘。
寒〆わせしろ
そこで、その他にカボチャとポップコーン用のトウモロコシを詰め合わせた『お伊っ達パック』というものを作り、伊達の農家の活性化を図るために、東京の友人達に買ってもらおうと考えた。
幸いにそのパックは評判が良く、かなりの数が売れた。
更に、『来年もお願いします』という声が私や女房のところに届いていた。