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[2020.02.10]
■東京オリンピックマーチ
よんどころなくスマホなる携帯端末を持つことになった。  
わたしは今までガラケーという携帯電話で、これで十分だと思っていた。メールやインターネットの検索は、家のノートパソコンでやっているので、特に不自由を感じていなかった。強いていえば、旅行に出たときに、地図や乗換案内などの機能があれば便利だなとは思っていた。  



スマホを持ったのでdocomo教室に妻と通い、使い方の一端を教わることをしている。いま一番使っている機能(アプリ)はインターネットで入手した音楽を、ブルートゥース対応の小さなスピーカーから聴いていることである。ブルートゥースという微弱無線の機能はずいぶん昔から聞いていた。パソコンのキーボードやマウスに線をつながずに機能させることなどが代表的な使い方と思っていた。  
今回もとめたブルートゥース対応スピーカーというのは卵くらいの小さなものだが、音はなかなかのものである。要はスマホとこのスピーカーは有線ではなく無線でつながり、数mくらい離しておいても音楽を流してくれる。  
「朝のクラシック」、「童謡・唱歌・叙情歌」、「グレン・ミラー」、「サウンド・オブ・ミュージック」などいろいろ音声入力で試してみたが、先日「東京オリンピックマーチ」を選んで、聴いた。  
古関裕而(こせきゆうじ)作曲になる「東京オリンピックマーチ」は、1964年の東京オリンピック開会式の入場行進のときに演奏された懐かしい曲である。この曲を聴くと、わたしが高校2年生の時のこのオリンピックのいろいろなことが思い出される。  
マラソンのアベベ(エチオピア)はその前のローマ大会に続いて2連覇を成し遂げた。日本の円谷幸吉(つぶらやこうきち)も3位入賞と頑張った。女子バレーボールは決勝戦でソ連(現ロシア)を破って、優勝した。鬼の大松監督に率いられて猛烈な練習を繰り返し、ついに“回転レシーブ”なる妙技を編み出し、小さな身体でも世界に勝てることを証明した。体操では、チャスラフスカ(旧チェコスロバキア)という容姿の美しい名花が人気を博した。  
1964年10月10日の開会式の日は、前日までの空模様と打って変わって、東京は青空が広がった。当時東京北区に住んでいたわたしも、開会式のときに自宅から空を見上げたら、ブルーインパルスの飛行隊が描いた大きな五色の輪があった。どうしてあんなにきれいな輪を描けるものなんだろう、という記憶がある。  
「東京オリンピックマーチ」は、何というかジーンと心にしみる日本らしいメロディなのだ。中間あたりでゆったりと流れるメロディを聴いていると「日本人でよかった」と思えるのだ。古関裕而さんは、実に多くの作曲をされている。中でもとくに有名な曲としては、第一に高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」この歌は戦後1948年に作曲されたものだが、現在でも甲子園でこの曲が流れると、「球を追い求める若者の姿はいいな!」と身がしまるというか、すがすがしいというか、しゃきっとさせてくれる名曲だ。  
その他の名曲も多い。戦時中の「暁に祈る」、「露営の歌」。  
戦後の日本全体への鎮魂歌「長崎の鐘」、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」、伊藤久男が歌う「イヨマンテの夜」、岡本敦郎が歌う、わたしのカラオケの十八番でもある「高原列車は行く」。  
戦争中は図らずも戦意高揚のための軍歌も作った。自分の作った曲に励まされ戦場に赴き亡くなった人々のことを思うときに忸怩たるものがあった。そして戦後になって日本復興に沿って、日本人の心に沁みとおる曲の数々が発表された。古関を最も喜ばしたのが、復興日本の象徴的なイベントである1964年の東京オリンピックでの入場行進曲の作曲の依頼だった。  
古関裕而は1909年(明治42年)に福島県福島市に生まれる。生家は福島市で呉服店「喜多三」を営み、父親が音楽好きで、大正時代にはまだ珍しかった蓄音機を購入して、いつもレコードをかけていた。古関は幼少のころからそんな音楽が流れる家庭に育ち、ほとんど独学で作曲の道を志していく。小学校に入ると、担任の遠藤喜美治が音楽好きで、音楽の指導に力を入れていた。10歳の頃には楽譜が読めるようになり、市販の妹尾楽譜などを買い求めたり、級友が持ってくる詩に曲をつけたりした。旧制福島商業学校を卒業後、山田耕作の知遇を得て、コロンビア専属の作曲家に迎え入れられる。戦時中は、戦時歌謡の数々の名曲を残した。「愛国の花」、「暁に祈る」、「露営の歌」など。ただ、自らの作品で戦地に送られ、戦死した人への自責の念を持ち続けた。  
戦後は、暗く不安な日本を音楽によって明るくするための活動に尽力した。それらは、「長崎の鐘」、「とんがり帽子」、「栄冠は君に輝く」、「イヨマンテの夜」、「高原列車は行く」、「君の名は」、「東京オリンピックマーチ」など、昭和の日本人なら誰でもが愛した曲につながった。  
1989年8月18日に脳梗塞のために没した。享年80歳。その後に催された音楽葬では、早稲田大学、慶応義塾大学の応援歌を作曲していた古関のために参列した両校の応援団がそれぞれの応援歌を歌い、古関の棺は左右からさしかけられた両校の校旗をくぐって多くの参列者に見送られた。  
2009年4月11日に生誕100年を記念し、故郷福島のJR福島駅の発車メロディに古関作曲のメロディが採用された。在来線ホームに「高原列車は行く」、新幹線ホームに「栄冠は君に輝く」のメロディがいま流れている。また同じくこの年に福島駅東口広場に設置されたモニュメントからは、「栄冠は君に輝く」、「長崎の鐘」が流れるそうだ。  
また、ことしの春からは、NHKの朝の連続テレビ小説「エール」では古関裕而をモデルとした話が展開される予定だそうだ。  
古関の曲は、クラシックの香りがあふれ、またスポーツ曲では勇壮な中に清潔感があり、全般的に格調高い曲が多い。(古関裕而に関することはWikipediaを参考にした)  
 
1964年の東京オリンピックの話に戻る。  
わたしは高校2年生でバスケットボールのクラブに入って、毎日練習に明け暮れていた。学校宛に割り当てがあったようで、クラブの仲間と代々木体育館別館にバスケットボールの試合を見に行くことができた。その時見た試合で、確かメキシコの選手のプレーが記憶に残る。ゴールに走りこんだその選手は、味方からのパスを空中で受けると、空中態勢のままゴール下を通り抜け、身体を反転させてシュートを決めた。ジャンプしてパスを受け、反転シュートするまで空中にいたのである。驚異の運動神経の持ち主の空中プレーに、圧倒されたというか拍手喝采であった。「あんなことができるのだ!」  
 
さて今年2020年の東京オリンピックでは、また新しい入場行進曲が準備されているのだろうか。もしそうなら長く日本人の心に響くメロディであって欲しい。  
 
◆参考資料  
・Wikipedia 古関裕而  
・挿絵 安野光雅画集「早春のノルマンディーの村」を模写  
(2020-1-25記) 
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2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
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