■台湾紀行(1)・・・・台北
今回の私の旅はブログ休止中の2017年11月2日から11日まで、「台湾に今も残る日本時代の建物、痕跡」を探すのが目的だった。
11月2日の早朝から台湾に向かった。
午前4時30分に自宅前にMKタクシーに来てもらい、羽田空港国際便の出発口まで送ってもらった。料金は高速道路を含んで7880円だった。
こんな早い時間には大江戸線も走っていないし、浜松町からのモノレールも走っていないからタクシー以外では羽田空港に行けないからだ。
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羽田空港で同行者の頼(Lai)さんと落ち合って、搭乗口に向かう。
今日の飛行機はチャイナ・エアラインの午前7時25分発「CI 223便」である。早朝便の為か機内は80%くらいの搭乗率だった。
台湾には桃園国際空港を利用するお客が多いが、私達は古い松山空港を選んだ。
航空料金は高いが、その方が市内から近く、とても便利だからだ。
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台北・松山空港には午前10時20分に到着した。
時差は1時間なので、4時間の飛行である。
空港が近付き地上が見えると怖い。住宅やビルが密集している上を飛行機が降りて行く。もし事故が起きたら、大惨事になることは間違いない。
また飛行機が台北に近付いた時に左手に見えて来る赤い中国風の建物の「圓山大飯店」は豪華で、世界の名士が宿泊する歴史あるホテルであり「台湾に来た」と感じさせてくれる。
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遠くに見える高いビルは台湾が誇る「台北101」・・・高さは509メートル。
空港に着いたら頼さんの知り合い(高さん)が車で出迎えてくれた。
彼の会社に立ち寄り、ウーロン茶をご馳走になってからランチに行く。
どうやら高級な飲茶の店のようで、小籠包がとても美味しい。
食後は宿泊先の圓山大飯店に向う。
チェックイン時間には早過ぎるので、荷物だけを預かってもらう。
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頼さんがどこかに電話をすると別の車が迎えに来た。
頼さんの同級生の友人の連さんだ。
中華系の人というのは、チョットした知り合いでも平気で頼る。
それを今回の旅で、私は度々、経験することになる。
連さんは川沿いの古い町(老街)を徒歩で案内してくれた。
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台湾では京都の商家に似て、道路に面した間口が狭い。
京都は間口の広さで税金が決ったようだが、台湾では違う。川や港に近い家は海賊や異民族からの襲撃を避けるために細長い家にしてある。
今はマンションになっているが、彼の住んでいた場所を見に行ったら、港に近いので間口が6メートル、奥行きが80メートルもあり驚いた。
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この近辺は、現在も日本時代の古いレンガ作りの商店が多く残っている。その一角にある食堂で、3人で夕食を食べた。
私に珍しい経験をさせたい連さんが選んだ店は「米食館」という店で、メニューの全てが米で作った料理だった。初日の昼飯から不味いものを食べてしまった。でも2人に悪いので「不味い!」とは言えなかった。
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(おまけの話)
頼さんは語学が堪能で、台湾語、北京語、客家(はっか)語、日本語、英語の5ヶ国語を話す。
彼は戦前からの台湾語、戦後、日本が去った後の蒋介石が統治した時代の北京語、彼の家族のルーツの言葉である客家語、日本に留学して覚えた日本語、その後、仕事で覚えた英語という5種類の違う言葉を話す。
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子供の頃はお婆さんが客家語しか分からないので、家族は客家語で話していたそうだ。
元々、台湾にいた本省人の友人や知り合いとは台湾語で話す。
蒋介石は中国大陸で毛沢東との戦いに敗れて台湾に逃げて来て、台湾に政権を樹立した途端に北京語を公用語として台湾人に強制した。だから学校では北京語で、本省人が学校で台湾語を話すと体罰を受けたそうだ。
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台湾語、客家語、北京語はとんでもなく違う言葉だそうである。
漢字を使うので「方言みたいなものだろう」と思っている人がいるが、全く違う言葉だそうだ。
日本語も漢字を使っているが中国語とは全く違うし、朝鮮(韓国)とベトナムは以前は漢字を使っていたが、今は独特の文字を使っていて、中国語とは全く違う言葉である。
だから全く違う5ヶ国語を話すのは本当に凄い。頼さんの頭の中はどうなっているんだろう?
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中国語の「的」の部分を日本語の「の」にするのが流行している。
(天候・・・晴れ、 気温・・・30度)