■人生を学ぶ
ある本に「人生を学んでいる間に、手遅れになる」という一節があった。 「巧いことを言うなー」と、なんだか納得してしまった。
何歳になっても新しく知ることがあり、「手遅れになる」という意味が実感として分かる。
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そもそも現役の時は「人生を学ぶ」なんて考える暇も無かった。
ただガムシャラに生きて来たような気がする。
それが61歳で引退して時間と気持ちに余裕が出て来たら、人生を考えるようになった。
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「あの時、ああすれば良かった」とか、「こうすれば良かった」など後悔ばかりである。最近は「あとどのくらい残り時間はあるのだろう?」と、マイナス思考ばかりだ。
残り時間がたくさんあれば、「あれをやろう」なんて考えているわけじゃない。今では、「残り時間はもっと少なくてもいいのになー!」と考えている。
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ゴルフ仲間の年長者から、人生を教わったことが2回ある。
1人は20歳年上の紳士用シャツメーカーの社長だった。
私が彼に「夫婦円満の秘訣は?」と聞いた時の答えが、「なるほど!」と納得するものだった。
彼は「年をとったらな、なるべく女房との接触時間を少なくすることだ」と言ったのである。
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もう1人は作詞家の星野哲郎さんだった。
6人くらいで、ハワイにゴルフ旅行に行ったことがある。
ゴルフを終って部屋で昼寝をしていたら、星野さんが私の部屋に入って来て言った。「橋本さん、町に遊びに行こう。ハワイに来て寝ていたんじゃもったいないよ。もうすぐ年を取った時には寝たきりになれるんだから、今は起きていろ!」。
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引退したら急に本を読むようになり、映画を見にいくようになり、都内を歩き回り、旅行が好きになり、おまけの写真撮影が高じてブログを書いている。一方で止めたのは、ゴルフと車の運転である。
それと背広を着ることもだ。背広を着ないようになって自由になった気がしていたが、相変わらず女房から文句を言われているのだから、自由とは言えないかもしれない。
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年寄りは若者になんか言いたくなる。
腹が立ったり、先が見えてしまいお説教をしたくなるが、それでも私は我慢している。自分のことを振り返れば、それは分かる。
年寄りが偉そうになにか言っても、私は聞く耳を持たなかった。
時代が違うよ!」と思っていたからである。
この年になり分かった。「いつの時代でも、自分で失敗してみないと痛さが分からない」のである。
結局は死ぬまで、私も人生を学んでいくのだろう。
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「経本」
(おまけの話)
私はここへ越して来てから、築地本願寺の門徒になった。
それまでは全く仏教徒は関係も、知識も無い生活をして来た。
仏教の言葉に「生老病死」というのがあるそうだ。
「生まれて、老いて、病気になって、死ぬ」というのが私には納得いかなかった。
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これでは「学び、働き」が抜けている。
どうにも納得できないので、このことに付いて築地本願寺の銀座のサテライト・スタジオ(よろず僧談)に行って坊さんに質問した。さすがに坊さんは説明が上手だ。
坊さん「生老病死という言葉は四苦八苦の中にある初めの4つの苦が、生老病死です。次の4つの苦は(長いので省略)・・・・です。その4+4=8を八苦と言います」。
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「苦というのは、人間の力ではどうにもならないものを言い、生まれる、病気になる、老いる、死ぬはどうにも出来ません。これを何とかしようとするのが人間の煩悩です。ですから南無阿弥陀仏を唱えて、この苦から抜け出す為に阿弥陀さまの悟りに近付く努力をすべきです」と解説された。
私には分かったような、分からない説明だった。宗教心があまり無い私には、無理な話だったかもしれない。
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