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[2018.10.10]
 
台湾最終日も朝は5時に起きた。 
この日も台北行きの新幹線の時間まで、古さんが私をガイドしてくれることになっている。午前8時30分に、古さんが迎えに来てくれる前にホテルをチェックアウトする。 
 
滞在中は洗濯物をホテルにお願いしていたが、パンツもハンカチも含めて610元であった。日本のホテルに比べたら、はるかに安い。 
 
客家人の村「勝興村」入口。 
[2018.10.09]
 
この日は古さんと頼さん兄弟2人は用事があるとのことで、また私と一緒に日本から来た頼俊蒼も2日前に帰国した。 
私もたまには1人になりたいので、この日はフリータイムとすることになった。 しかしいつものように午前5時には起きてしまう。 
テレビを見ながら、午前6時30分に朝食のレストランが開くのを待つ。 
 
二両編成用のバス停のデザインはモダンである。ブルーの二両編成バスが停まっている。 
[2018.10.08]
 
食事も終り夜になり部屋でテレビを見ていたら、古さんの部屋から電話があった。「明日の朝は早起きして、日の出の写真を撮りに行こう」と言う。 
 
私は朝の早いのは問題ないので、午前5時に空を確認してから古さんに電話することにした。そして、午前5時になり外を見ると、雨が降っていた。 
 
花蓮の海岸の風景。天気が良ければ、素晴らしい光景だと思う。 
[2018.10.07]
 
この日は古さんと2人で、1泊2日で花蓮に行くことになっている。 
私は台湾には7回も行っているが、花蓮には行ったことがないので楽しみにしていた。 
 
花蓮は台湾の東海岸にあり、台中からは中央山脈を越えて行くか、台北へ出て海岸線を下るかのどちらかだ。時間的には台北経由の方が早い。 
しかし私は時間は掛かるが、景色の良い山越えを選んだ。 
 
車は台湾の中央を貫く中央山脈に入って行く。 
[2018.10.06]
 
この日もまた午前4時30分に目が覚めてしまった。 
寝るのが午後11時頃なので、5時間半の睡眠があればジジイには十分である。 
 
今日は古さんと頼子文さんと3人で台南に行くので、彼が午前8時30分に迎えに来る。朝食を食べて、NHK国際放送を見る。 
ローカル放送で台南の天気予報も見る。 
 
八田興一は道路名にもなっている。八田興一の家族の住んだ家(再現) 
[2018.10.05]
 
この日も午前4時半に目が覚めてしまった。全く困ったものである。 
午前8時30分に頼さん兄弟3人がホテルに迎えに来ることになっているので、その前に台中公園まで散歩に行った。 
 
公園は早起きのジジババが思い思いにウォーキングをしたり体操をしたりしている。太極拳をしている人はいなかった。 
 
頼家のコンピューター制御の霊安室。 あの世で使うお金を燃やす炉。 
[2018.10.04]
 
台湾生活も4日目となると、だいぶ慣れて来る。 
そうなると、いつものように朝早く目が覚めてしまう。 
この日は午前4時30分に起きた。 
 
部屋のテレビでNHK国際放送の日本のニュースを確認すると、悲惨な殺人事件のことを放送していた。台湾に来ても日本から離れられない自分に可笑しくなる。 
 
台湾のテレビでは左下に常に天気予報が表示されている。 
[2018.10.03]
 
台湾の3日目は台中のホテルで、午前5時に目が覚めた。 
いつもの日本の習慣と同じだ。 
部屋でNHK国際放送で日本のニュースを見てから、散歩に出る。 
台中公園では年寄りが体操をしている。この公園も日本が作ったので、池を渡る赤色の太鼓橋や、中島にあるお堂が目立つ。 
 
旧台中駅。この正面から入り左手の新台中駅に行く。 
 
[2018.10.02]
 
台北の2日目は頼さんが早朝から仕事に出掛けたので、1人で朝食を食べる。一流ホテルの朝食で500元(2000円)も取るのに、あまり美味しくない。 
 
圓山大飯店は市内から遠く、また古くなったので最近は人気が落ちて市内のアメリカ系ホテルにお客を奪われているようだ。そのせいか、格安旅行の日本からの団体客が多い。 
昔は格式が高く団体客など入れなかったのだが、あの頃が懐かしい。 
 
圓山大飯店のロビーは広い。 
左奥のレストランで美味しくない朝食を食べた。 
[2018.10.01]
 
今回の私の旅はブログ休止中の2017年11月2日から11日まで、「台湾に今も残る日本時代の建物、痕跡」を探すのが目的だった。 
 
11月2日の早朝から台湾に向かった。 
午前4時30分に自宅前にMKタクシーに来てもらい、羽田空港国際便の出発口まで送ってもらった。料金は高速道路を含んで7880円だった。 
こんな早い時間には大江戸線も走っていないし、浜松町からのモノレールも走っていないからタクシー以外では羽田空港に行けないからだ。 
 
機上から富士山が見えた。まだ雪が無い。 
 
 
プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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