■忘れる力
最近だが図書館から借りた本で、「忘れる力」が面白かった。
これはボケて忘れる話ではない。
文学博士の外山滋比古氏が書いたエッセイ集のタイトルである。
学者が書いた本だから、多少は七面倒臭いのは我慢して読み進む。
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ここで私は「七面倒臭い」と書いたが、例えばこれをネットでは次のように説明する。このような感じで彼の文章は続くのである。
【七面倒」の由来は、「面倒」の‟手数がかかってわずらわしい”、‟やっかい”という意味を強めるため、接頭語の「しち」を付けたものです】。
【「しち」は、わずらわしさの程度が‟はなはだしいこと”を示す時に用いる接頭語です。同時に、‟面倒で嫌になる”という気持ちを込めることができます】。
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【「しち」を付けた他の言葉、「しちむずかしい」や「しちやかましい」でも、非常にごたごたした状態を表す‟ひどくむずかしい”、‟たいそうやかましい”の意味に加えて、“不必要にむずかしい”、“むやみにやかましい”といった不快感を表現しています】。
【接頭語の「しち」は江戸時代以降に登場しました。漢字の「七」は「しち」の音にあてはめた当て字にすぎないため、数字の七とは関係がありません】とあった。
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本の中で面白い話は沢山あったが、そのいくつかが私が気に入ったので紹介したい。「であろう」の話も面白い。
【「である」は論理的で、「であろう」は心理的で意味は同じ。「AはBである」と決めつけるのは高飛車で威張っている感じになる。
それを和らげるのが「であろう」で、心は「である」と変わるところがない】。
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「カタカナ」の話も面白い。
【田舎のオヤジさんが息子の打って来た電報を見て「せっかく大学まで行かせたのに、まだカタカナしか書けないのか」と嘆いた。電報には句読点も無いから、「ツマデキタカネオクレ」を「妻できた。金お呉れ」と思ってしまった。
実は「津まで来た。金送れ」だったという話だった。これに似た話は韓国にはたくさんある。なにしろハングル文字は日本のひらがなに相当するから、間違い易いのである】。
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【「アイランド・フォーム」も可笑しい。日本に住むようになって数年の外国人に日本人から転居の挨拶葉書が来た。そこには「近くへお出掛けの節は、是非お立ち寄り下さい」とあった。
「是非」は強い言葉と知っていた彼は、わざわざ出かけて行った。
引越し早々の来客に慌てた先方は「どういう用事で来たのか?」と聞いたので、すっかり彼は不愉快になったという話】。
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ここでは簡潔に書いたが、こんな話が170ページ以上も綴られている。
納得するやら、可笑しいやらで一気に読んでしまった。自分にも心当たりがあるからだ。
本の場合は文字数が多いから、親切丁寧に説明が出来る。しかしこのブログは短い文章で、多くを知らせたい。そこに無理があるのは承知だ。
だから自分では悪気は無いのだが、どこかの誰かが不愉快になっているかもしれないと思うと、段々と書くのが難しくなって来る。
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(おまけの話)
「忘れる」と言えば、私が出掛ける時は玄関で女房が言う。
「お財布、携帯、カードキー?」と。今では忘れることも無くなったが、以前は良くあり、バスに乗る時に気が付いて家に戻ったりしていた。
それで女房が確認するようになったのである。
情けないが、本当のことだから仕方ない。
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日本語、英語、中国語、韓国語に対応している(親切過ぎる)
買物を頼まれて、忘れないようにメモを書いたのに、そのメモを持って出るのを忘れたりしていた。風呂にお湯を張るのに、湯船の栓をし忘れて怒られる。
荷物が2つあると1つをどこかに置き忘れるので、今では1つしか持たない。人の名前を思い出せない。
女房との会話で「あれが・・・」と品物や場所の固有名詞が出て来ないことが増えたような気がする。
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先日のことだが、セブンイレブンにA3のコピーを2枚録りに行った。
希望のコピーが出来上がったので、お釣りを取ろうと返却口に手を入れたら130円が出て来た。2枚なら20円である。
50円玉を投入したのだから、お釣りは30円である。
きっと私の前に使った人が、お釣りを取り忘れたのだろう。
誰か分からないが、「忘れる力は、私だけではなかった」。
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この店の店員はベトナム人、来店客もベトナム人が多いのだろう。