■ペットのいる生活
私が初めてペットを飼ったのは、小学生の低学年だったと思う。 それは犬で、名前は「チャコ」だった。名前の由来は赤毛だったからだろうと思う。どうして我が家に来たのかは知らない。
気が付いたら、家にいたのである。
多分、どこかの家からもらって来たのか、道端で拾って来たのだろう。
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母は「子供達が面倒を見るなら飼っても良い」と言ったが、その約束を守ったのは最初の内だけで、いつの間にか母が面倒を見るようになっていた。次は秋田犬の「五郎」だった。これは父が買って来た。
気性の荒い犬で、しょっちゅう鎖を切って逃げ出す。
そして向かうのは隣の農家と決まっていた。
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農家に向かった五郎は、鶏小屋を目掛けて突進し、数羽の鶏を食い殺す。その度に農家のSさんが怒鳴り込んで来て、「生き残った鶏も卵を産まなくなった」と言われて、親父はかなりの金額の補償をするのが常だった。でも、その卵を産まなくなった鶏は我が家には渡されなかった。
少し変だが、言えなかった。
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五郎が死んで次に猫を飼ったが、しばらくすると慣れない内にどこかに行ってしまった。
それを境に、母はペットを飼うことは禁止にした。だから中学生の頃から結婚するまではペットに縁の無い生活だった。
それが結婚を境に、またペットと同居する生活に戻った。
女房がペットが大好きで、結婚するまでペットのいない時期は無かったそうだ。
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最初は大人しく、ウサギを庭で2匹飼った。
金網を買って来て柵を作り、「ウサギは声を出さないから、近所迷惑にならないだろう」と大満足だった。
ところが翌朝、柵を見たらウサギがいない。逃げたのだ。
どこから逃げたか分からなかった。
近所を探し回って、やっと見付けて、柵に入れた。
ところが翌朝になると、またいない。
それで気が付いた。地面に穴を掘り、そこから逃げていたのである。
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次にシェパード犬の「アニー」を飼った。
中野にある警察犬訓練所に行って、大人しそうな犬に決めた。
子供が生まれ、ペットと親しむ必要性を感じたからである。アニーは成犬だったので、娘より体が大きく、庭でじゃれ合うのを見ていて怖かった。そのアニーは10年くらい家族と過ごし、ある日、静かに癌で亡くなった。車で旅行にも連れて行ったし、とても思い出深い犬だった。
その後、リス、ニワトリなども飼った。
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その次はラーちゃんだ。
彼女の話は今までに色々と書いて来たので、今回は省略する。
私にとっては最後になると思うペットは、捨て猫交換会でもらって来たポアンとペッパーである。
小金井で飼っていたシェパードの「アニー」、猫の「ラーちゃん」のお骨は今でも私の机の後ろの棚に骨壺に入れて置かれている。
いずれ私と女房がアチラヘ行ったら、娘が本願寺の納骨堂に入れてくれるのではないかと思っているが、それを話し合ったことは無い。
犬も猫も人間も死ねば骨になる。違いは骨の量だけである。ああ無常!
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(おまけの話)
遠方の親しい友人から訃報が届いた。 高齢の母親が浴槽で亡くなっていたという。
もう20年近くも前のことだと思うが、同級生の母親が同じく浴槽で亡くなっていたことがある。
部屋と浴槽の温度差が、老人の心臓を止めてしまうらしい。
我が家でも女房が、なかなか風呂から上がって来ないと心配になることがある。
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他人の心配をしているが、自分がいつそうなっても不思議ではない。
だから私が風呂やトイレが長いと、もしかして女房は密かに私の心配しているのかもしれない。
家にいる時はまだ良いが、女房が出掛けてなかなか帰って来ない時は「交通事故か?」と心配になる。
私の場合は毎日のように徘徊しているので、女房は私の外出をあまり心配していないと思う。
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人間はいつか必ず死ぬ。 人類の歴史で「死ななかった人はいない」と分かっているが、自分のこととなるとなかなか実感が沸かない。 正確には「どう死ぬか?」が大事で、いつも私は考えている。
私の父は癌で亡くなったが、無駄な医療を続けて最後まで苦しんだ。
母はある日の朝に亡くなっていた。心臓にペースメーカーを埋め込んでいたので、心臓発作が起きたのだろうと思う。
私は若い頃から温泉好きなので、出来たら病院ではなく浴槽の中で死にたいと願っている
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