■星野哲郎さんの思い出
小金井公園に行くと、亡くなった星野哲郎さんを思い出す。 星野哲郎さんは毎朝の日課として、小金井公園で捨てられた空き缶を拾っていた。
そして、その数を帳面に記録していた。
初めて星野哲郎さんに出会ったのは、私の所属しているゴルフクラブだった。
星野さんもメンバーで、たまたま一緒の組でゴルフをした。
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スタートの時に『星野哲郎です』と挨拶されたが、何者だか知らなかった。暫くして、偶然にまた一緒の組になった。
それ以来、同じ小金井に住んでいることから、ゴルフの時に私が星野さんを迎えに行くようになった。
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ある時、キャディさんから『星野哲郎さんと親しいようですが、橋本さんも芸能関係の仕事ですか?』と聞かれて、その時に初めて星野哲郎さんが有名な作詞家だと知ったのである。
ゴルフ場の往復の車中では、いつも詞が出来た時の面白い話を聞いた。
水前寺清子の歌う「おしてだめなら、ひいてみろ」という詩が浮かんだのは、新宿のバーでのことだったそうだ。
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一緒に行った友人がなかなかトイレから戻らないので、具合でも悪くなったのかと思い、見に行ったそうだ。
そうしたら、中からその友人が『トイレのドアが開かなくなった』と言う。
そこで星野さんが、『押して駄目なら、引いてみろ』と言ったら開いたという事件があり、そこでこの歌が生まれたのである。
そんなエピソードが山ほどあり、ゴルフに行く車中の話が楽しみだった。
カラオケも演歌も大嫌いだった私が、それ以来、カラオケで星野哲郎さんの歌を歌うようになったのだから、人生とは可笑しなものだ。
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(おまけの話)
星野哲郎さんとゴルフをする時は、少額の賭けをした。
私がハーフで3つのハンデを与えて、1ラウンドのスコアで勝ち負けを競うのである。
勝ったり負けたりしたが、私が勝った時は1000円をもらった。ただ1000円をもらっても、私にとってはあまり意味が無いので、お願いをした。
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1000円札の空白の部分に、「参りました。星野哲郎」と書いてもらった。
星野哲郎さんは『10枚貯まったら、1万円札に替える』と言っていたが、、私は枚数が多い方がいいので、替えなかった。
・・・と、言いたいところだが、10枚にならない内に星野哲郎さんはアチラの世界に行ってしまった。
今では星野哲郎さんのサイン入りの1000円札が、私の「お宝」となってしまった。