■東京裁判の現場に立つ
珍しく女房が、『防衛省の市ヶ谷本部が見学できるらしいので、一緒に見に行かない?』と言った。 滅多に彼女からそういう提案があることは無いので、早速、防衛省の見学係に申し込んだ。
午前9時30分の見学が始まる前に集合したのは、100名近い老若男女である。
係員の話では最近は人気が出ていて、予約はおろか電話も繋がらないで多くのクレームが来ているという。
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今回の見学にはH君を誘った。
彼の父親は元軍人で、近衛師団として戦中はこの場所で陸軍大本営に勤務していたという因縁がある。
先ずはビデオを見せられてから、見学が始まる。
殆どの場所は見学が不可で、ゆっくり見せてくれるのは、この市ヶ谷記念館だけである。
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この記念館は歴史に残る様々な事件が起きている場所だ。
当初は昭和12年に陸軍士官学校本部として建設されたが、終戦後は太平洋戦争の戦犯を裁く極東国際軍事裁判(東京裁判)の会場となった。
その後、三島由紀夫が自衛官の決起を促す為に、この記念館のバルコニーで演説をした後に割腹自殺をしたという場所でもある。
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内部のホールに立つと、重厚な造りと記念品の数々に囲まれて、私はいつしか東京裁判に思いを馳せていた。
このツアーは「日本人なら見ておく価値がある」と思った。
見学が終ってから神楽坂に出て食事をして、その後に同級生で元演歌歌手のM君を呼び出した。
そして彼の奥さんの友人で、元神楽坂芸者だった美人女性の経営する喫茶店で美味しいコーヒーを飲んだ。
今日の企画は最初から最後まで、満足の100点だった。
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(おまけの話)
今から丁度40年前の11月25日のことである。
私と女房は生まれたばかりの娘を実家に預けて、パリ旅行の最中だった。
ホテルで朝食を食べに行く時に、フロントが騒がしいので立寄ってみた。そこには新聞を読む人が大勢いて、覗いてみたらグロテスクな写真と文字が躍っていた。
その英字新聞によると、作家の三島由紀夫が割腹自殺したと書いてあった。切り落とされた生首が床に転がっている写真には驚くと同時に気分が悪くなった。
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日本に戻った時に家族に聞いてみたら、日本の新聞には生首の写真は載らなかったと知った。
その時に、日本と世界では報道の扱い方がかなり違うと感じたのである。