■引退後も続く人生
「引退後も続く人生」という題名にしてしまった後に、これは私には少し肩の荷が重いと感じている。
私は人生を語るほどのことはして来ていないし、まして現役の人に引退後のアドバイスを出来るわけもないのは自覚している。

私は仕事が上手く行かなくて引退したのではなく、色々な事情から、「今が辞め頃」と悟ったのである。その為に同級生のO君に会社の顧問になってもらい、5年を掛けて準備をした。
引退した後のことは具体的には考えていなくて、「どこか外国でしばらく過ごしたいなー」程度の甘い考えだった。

そんな時に室蘭に住む同級生のお誘いで積丹半島を旅をして、伊達市に辿り着いたのである。そして伊達市の皆さんから暖かく迎え入れられて、毎年の夏に3ヵ月の滞在をするようになった。
しかしそれも9年で終りを告げた。
私達が滞在していたゴルフ場が中国資本に買収されたからである。

それを機会に70歳の誕生日の6日前に小金井市から、都心の中央区のマンションに引っ越して来た。ところが、引っ越した翌日に「東日本大震災」が起こった。
その時は「これから日本はどうなるのか?」と、本当に心配だったが、「私の人生は残り少ないから、まあいい人生だった」と考えた。

ところが「残り少ない」と思っていた「その後」が、今もまだ長く続いている。
最近では「食欲が落ちて来た」、「歯の具合が悪い」、「難聴になって来た」、「腰と首が痛い」、「体のアチコチが痒い」、「色々なことに腹が立つ」など悪いことばかりが起きている。
病院に行けば「加齢から来ています」で終りだ。

では「仕事を続けていれば良かったか?」と言えば、そんなことはない。多分、ドンドンと頑固になって、周りに迷惑を掛けていただろう。
そして社員も離れ、取引先も離れ、女房も離れたかもしれない。
なに事にも「潮時」というものがあり、特に男は引き際が大事である。

日本はドンドンと高齢者社会になっていて、老人に掛かる費用が莫大になっている。私はなるべく病院に行かないようにして、細やかだが健保財政に協力している。
「墓も用意した」、「戒名も付けてもらった」、「尊厳死協会にも入った」、「子供が1人なので、相続の揉め事も無い」と、全て準備万端なのだが、残念ながらお迎えが来ないのである。
「男は引き際が大事」と常に言って来たのになー。

(おまけの話)
リタイア生活も長くなると、ボケのせいか、時々、曜日が分からなくなる。現役の時は月曜日を忘れることは無かった。
月曜日の朝起きた時には、「今週も頑張るぞ!」という気合があった。
ところがリタイアすると、気合を入れる必要も無くなるのが寂しい。

毎月、最終金曜日に築地本願寺で「ランチタイム・コンサート」が開催される。予定が無い時は、必ず行ってパイプオルガンの音色に酔う。
ある時の金曜日に築地本願寺に行った。
ところがなにか雰囲気が変である。
本堂下に大きな立て看板が出ていて、そこには「東京医科歯科大学解剖体追悼式々場」と書いてあった。

本堂の入口の両側にはテーブルが出ていて、そこには「献体受付」の文字も見えた。なにか場違いのところに来てしまった感じがして、携帯電話の画面で確認したら、その日は木曜日だった。
私は翌日の金曜日と間違えて来てしまったのである。
こういう間違いが起きないように、海上自衛隊では「毎週金曜日の夕食にはカレーライスが出て来る」と、なにかで読んだことがある。
