健康診断の通知が届いた。年に一度だけ、最小限の定期検診を受けている。
そのたびに思う。果たして健康診断とは、自分にとって何の意味があるのか、と。
一般論としての意義はわかる。病気の早期発見、予防対策、社会全体の医療コスト削減……若い頃であれば、切実な意義だ。幼い子どもを抱え、親の面倒も見なければならない時期には、自分の健康を守ることがそのまま家族を守ることに直結する。
しかし今の自分はどうか。子どもたちはとうに独り立ちし、生活に資金的な援助が必要な親もいない。ならば健康診断の意義など、自分にはほとんど残っていないのではないか。
寿命とは、つまるところ天命である。死にたくなくても逝く時は逝くし、生きていたくなくても続いてしまうことだってある。かつて事業に失敗した時期、ふと生命保険会社の窓口まで出向き、自死でも保険金が支払われることを確認してひとまず安堵した。そんなときもあった。だがあの頃の話だ。今は違う。
今はとても幸せだし楽しい人生を送っていて、死にたいなんて微塵にも思ってはいないが、いつかは死ぬのだ。それに死後の世界もあるのかも楽しみにしているから、長生きへの執着がないのは今も変わらない。今の俺は60を過ぎて、年齢も自分の周りの環境も、死んでも大きな問題は生じない段階にはいった。そんな人間に、早期発見も予防対策も昔ほどの意義はないのは自明だ。
加えて、健康診断に行って何かいいことがあるのか。コレステロールが高い、血圧が気になる、肺に影が……そんな結果を見せられるたびに、残りの人生に不安の種を蒔くだけではないのか。早く死ねば周りが悲しむ、という声もあるだろう。だが別れはいつか必ず来る。突然くるかもしれない。それは早まるか遅れるかの違いに過ぎない。どのみち悲しませないことはできないのだから、タイミングなど関係ない。
それでも俺が毎年検診に行くのは、カミさんに頼まれているからだ。「お願いだから、年に一度だけ、最小限の検診は受けて」……そう懇願されたら、まあ、強く抵抗するほどのことでもない。
カミさんへの年に1回のカミさん孝行で行く。今のところ、それが自分の出した答えだ。

\ この記事をシェアする /

コメントはまだありません。
コメントを書く