■伊達に行く日が決まらない
3月12日にトーヤレイクヒルGCのKさんから電話があった。『今年は6月の何日に来るのですか?』と聞いて来た。 でも、まだ分からないのである。
私は『3ヶ月ごとの定期検診を受けなければならないので、3月15日の結果次第である』と伝えた。

15日に杏林大学病院に行って、先週の検査結果を聞いた。
『PSA値が少し上昇しているが、暫くは様子を見ましょう』ということになり、次回は6月21日の検査となった。
そろそろ6ヶ月毎の検査でいいと思っていたのに、予想が外れてしまい、6月まで伊達に行く日が決まらなくなってしまった。これも仕方のないことと諦める。

暖かくなって来たのか、庭の畑に落ちた大根の種から芽が出て、それが伸びて菜の花を咲かせている。
黄色い花びらが暗い庭を明るくしている。
そろそろ我が家の畑も春の種まきに備えて、耕さなければならない。

そんなことを考えていたら、インドから帰って、丁度1ヶ月が過ぎてしまい、その日が私の68歳の誕生日となった。
誕生日というのは、私にとってはもうあまり嬉しくはないのである。
誕生日が来るたびに、お迎えの日が近付いて来ているように思えてしまうのは、私の僻みだろうか?
あちらから誰かに迎えに来てもらうのも気の毒なので、こちらから出向こうと思っているが、まだ道順が分からずに困っている今日この頃である。

(おまけの話)
今年の東京の冬は雪の降った日が非常に多かった。
寒い日は家に居るのが一番である。
そこで、買い置きの本を読んだ。
嵐山光三郎の『よろしく』という本で、彼は私の中学・高校時代の同級生だが、本屋で買ったので、また彼を潤してしまった。

この本は小説のようなエッセイのようなものだが、自分の父親のボケと死を淡々と綴っている。
我々の世代には参考になる本である。
その後に引き続き、同級生で国立がんセンター名誉総長をしている垣添忠生君の本である『妻を看取る日』を買って読んだ。
がんセンター総長でありながら、妻を癌で亡くした彼の悲しみが文面に滲んでいる。
『すごく愛していたんだなー』と思う。
どちらの本も死を扱っているが、同級生がそんな本を書くような年になったんだなーと思っていたら、自分もブログに書いてしまった。