■今も続く「心の伊達市民」
毎年、1月になると、伊達市からA4版の封書が届く。
その中に入っているのは、「広報だて」、「かわら版」と言う室蘭民報のピックアップニュースのコピー、「心の伊達市民だより」である。
そして今回は「伊達150年記念 交流企画」として「伊達市川柳を募集します」と書いた募集要項と応募用紙が入っていた。
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伊達市から送られて来る情報は、伊達市との繋がりを思い出させてくれる。本ものの伊達市民には意外と知られていないのが、「心の伊達市民制度」である。
これは私が伊達市に行くようになった16年前に、伊達市職員のOさんがコテージにやって来て、私にそのアイディアの披露と相談をしたことに始まると思う。
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まだ「ふるさと納税」が出来る前のことで、伊達市は町の活性化の為に、「箱モノではなく、人を呼ぶ」という考えを発案した。
Oさんは私にも「考えを聞きたい」と言うので、私は次のように答えた。
「伊達市を出て都会で働く人達、都会から伊達市に遊びに来た人達の縁が切れないように、心のつながりを持てるようにしたらどうか?」。
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「その為には伊達市の情報を定期的に届け、伊達産品を買ってもらったらどうか?」と提案した。その後、私の提案が少しは採用されたのか、「心の伊達市民制度」が発足した。
この制度に登録すると、仮の住民税が発生する。
その代りに、仮の住民税を支払うと金額相当の伊達産品が送られて来るという、今にして思えば「ふるさと納税」の元になったようなアイディアだった。
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(住所は市役所になっている)
菊谷市長が素晴らしいアイディアマンなのか、部下にアイディアマンがいるのか不明だが、いずれにしても次々とアイディアが出て来るのには驚く。
こんな町に毎年夏に滞在できたことは、とても幸運だったと感じている。そして多くの友人を得て、今も彼らから定期的にメールが来たり、伊達産品を購入させてもらっている。
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台風と不漁のせいか、かなり小さくなってしまったのが残念だ。
封書の中身の「伊達市川柳」だが、折角の機会だから応募してみた。
川柳など、今までに1回も作ったことが無い。
自分でも今までに色々と企画を立てたが、それに応募が無いとガッカリする。
そんな経験から、「採用はされなくても良い」との思いで2句をメールで事務局に送ったのである。
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その川柳というのが次のものである。これが川柳と言えるかどうか私には分からない。
でも「くすっ!」という笑いが無いから、川柳とは言えないなー。
応募締め切りは2月7日で、入選者は2月末から伊達産品が届くと書いてあった。もうそのことはすっかり忘れていたのに、3月2日に伊達市から宅急便が届いたのである。
開けてみたら入選したらしく、表彰状と副賞の和菓子屋「久保」の最中、「きのこ王国」の「極上なめ茸」が入っていて驚いた。伊達滞在中は好きで、久保の和菓子を良く食べた。嬉しいやら、申し訳ないやらで戸惑っている私である。
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(おまけの話)
私が初めて伊達市に行った時は5月で、その後、その年の9月の初めから1ヵ月間を「お試し」でトーヤレイクヒルGCのコテージで過ごした。
それで気に入った私達は、翌年から毎年夏の間はそこに3ヵ月間滞在した。
そして9年が過ぎた時にゴルフ場が中国資本に買収されて、私達は行き場を失い、そこで伊達市滞在は幕を下ろしたのである。
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それでも多くの伊達市の友人達が、東京の私の家を訪ねてくれた。
私達が伊達市に行かなくなってから、何人かの親しい友人達がアチラに逝った。
ゴルフ場のオーナーだったOさん、建設会社のXさん、本屋のYさん、農家のZさん、ゴルフ仲間のA子さん、バーのママのB子さん、などなどが懐かしく頭に浮かぶ。
彼らにはずいぶんと親しくしてもらい面倒を見てもらった。
今は感謝の言葉しかない。
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現在も伊達市で健在の人達には、更にお世話になった。
伊達市の縁で隣町の壮瞥町の人達とも親しくなり、色々な経験をさせてもらった。
いま思い出すと、「引退して、伊達市に来られて良かった。町も人も野菜も魚もカニも肉もなんでもみんな良かった」と思う。
私は「心の伊達市民」の第一号なので今も続けていて、伊達市との縁が続いていることに感謝している。
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夕食に食べたら、豪華で美味しかった。