■北海道へ移住のお話(5)
いよいよシリーズ第5話です。 なんかブログをやり始めてから誰か読んでくれてるのかな、書いて投稿してもただの独り言みたいな、どこか虚無の世界に送り続けているような、ちょっぴり虚しい気持ちになることがあります。
が、きっとどこかの誰かには届いていることでしょう。少しでも楽しんでもらえたらうれしいです。
さてさて。
前回は3人目の妊娠が発覚したわたくし。
出産予定日は夏。
まもなく京都のマンションを退去して夏前には北海道へ移住の予定でした。
産んでから移住にしようか。
でも、1号2号連れて、さらに新生児も連れて飛行機に乗ってって考えたらゾッとしました。
そこで、伊達市でも出産が可能かどうか問い合わせてみることに。
ありがたいことに伊達日赤病院では経産婦についてはお産の受け入れがありました。
いろいろと下調べをして、なんとか伊達市でも出産は可能そうだと判断した私らは臨月前にこちらに移住することを決めたのでした。
それからはバタバタと引っ越しの準備。
まずは京都でのマンション売却にむけて退去の段取り、そして北海道移住までのわずかな期間、京都市内の賃貸アパートに移る準備。
妊娠中とは思えないほどのハードな毎日を送っておりました。
そしていよいよ北海道に移住する日を迎えたのです。
妊娠9か月に入る前ころだったと思います。
関空からひとっ飛び。
ついに藤田家は伊達市に移住しました。
事前にこちらの賃貸アパートを借りていて、夫が移住の少し前に準備のために伊達へ入って家電や生活用品などはそろえておいてくれました。
いよいよ新天地での新しい生活が始まりました!
もう京都とは何もかもが違いました。
静か、空気がきれい、広い、水道水がそのまま飲める、夏なのに涼しい、ゴキブリがいない・・・。
「なにここ天国や」
しばらくは子供たちとべったり、伊達市のいろんな場所に遊びにいきました。
夫は京都の会社(現在のbungaを運営している会社)の仕事はPCと携帯電話があれば在宅ワークで可能なので、家で仕事を続けていました。
いろいろ順調な移住生活。
あとは来月の出産に備えるだけ。
と、思っていた矢先。
「なんかお腹が張ってきた」
お腹の張りは度々あったし、臨月も近いしこんなもんかなとあまり深刻にはとらえていませんでした。
でもどんどんお腹が張ってきて、なんか不正出血のようなものも。
慌てて病院へ。
いろいろ調べてもらうと、
「赤ちゃんの元気がありません。すぐにでも対応しないといけません」
頭の中が真っ白になりました。
「ここでは対応できないのですぐに日鋼病院へ行ってください。」
そう言われましたが、こっちは二人のチビがいます。
預かってもらえるような友人や家族はもちろん伊達にはいなくて右往左往しました。
それまで私らは時々ですが虹の橋保育園の一時保育を利用させてもらっていたことを思い出し、わらにもすがる思いで連絡しました。
「すぐに来て下さい、今からでもお預かりします」
本当に救われました。二人の子供をつれて室蘭の病院まで行くことも覚悟しましたが、なんとか夫婦だけで車を飛ばして行くことができました。
車中でもどんどんお腹は痛くなってきます。
産婦人科につくと、いろいろ診察してもらい。
「すぐにでも産まないと危険です。緊急帝王切開になりますので準備しますね」
もうここまで来たら腹をくくるしかない、と思いました。でもまだ正期産の時期やなかったし、赤ちゃんは大丈夫なんかな、という不安。
「もう引き上げないと子供らのお迎えに間に合わへんし帰るで?」
夫は一時保育に預けている子供たちの迎えの時間となったため先に帰ることに。
手術室に入る直前の廊下で「じゃあね、頑張って」と見送られ、ひとり手術室へ。
今までに感じたことのない恐怖と不安。
頼れる人はいない。
なにかあっても一人で受け止めるんや。
溢れそうになる涙を必死にこらえて手術に臨みました。
数10分後、医師から「おめでとうございます。」と声をかけられました。
が、産声は聞こえません。
わぁーっと小児科の先生などが来てなにやら処置をしています。
もう生きた心地はしませんでした。
「うちは死んでもかまへんからこの子は助けたって、お父さん、お母さん」
心の中で叫びました。
すると
「ふえぇっ・・・」
と、本当に小さな小さな産声が聞こえました。
小児科の医師が我が子を抱いて連れてきてくれました。
「赤ちゃん、可愛い女の子です。ちょっと小さくて目が離せませんのでこのままNICUでお預かりしますね」
ほっとして、そして不安がまた襲ってきました。
手術室を出て、病室に戻ると看護師さんが教えてくれました。
「ご主人からたくさん連絡がありましたよ、ご無事だということしっかり伝えましたからね。」
ひとりになるとワンワン泣けてきました。
麻酔のせいかひどく眠たくて、夢なのか現実なのかわかりませんでしたが、泣いていました。
翌日の朝、夫が会いに来てくれました。
「よく頑張ったな」
「頑張ったのはわたしやなくて赤ちゃんや」
3号はNICUでひとり頑張っていました。
これからどうなるんやろ。
でも私がしっかりせんと。
いよいよ北海道伊達市での3人子育てがはじまる。
いや、はやく3人の子供と家に帰りたい。
祈るような日々がはじまりました。
今日は(今日も?)ここまで。
もしよければまた続きも読みにきてくださいね。
画像は産まれて数日後の3号です。ちっちゃい!
