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人生ワンダーフル

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人生はWonder(不思議)でful(いっぱい)だ。

何気なく日常を過ごしていても、ふと自分が一本の線の上に立っていることに気づく瞬間がある。あの時ああだったから、今こうなっている。過去があるから今がある。まあこれは当たり前のこと。

だから「あの時もしこうでなかったら」と想像すること自体は悪くはないが、意味はない。いつだってそれしか起きていないからである。

そう見ていくと、人生には常に選択肢があるように思えて、実は選択などなかったことに気づく。いつの瞬間だって、そうなる以外になかった。赤い糸で結ばれているとはよく言ったものだ。

そんなふうに思っていると、今年に入ってから特に、興味深い不思議な出来事が続いている。

直近では、たまたま豊浦で会った外国人が、なんとオーストラリアにいる我々の娘と同じ会社の同僚の奥さんだったとわかった。そんなことがあるだろうか、と思うのが普通だろう。後に娘に聞いたところ、その同僚の奥さんが初めての北海道旅行に行くことは同僚から聞いて知っていたが、まさか豊浦という小さなまちに立ち寄るとは思うわけもなく、だから北海道にいる我々のことなど伝えてもいなかったという。

先日はスマホが水没し、慌てて札幌まで買いに走った。その最中、お袋から連絡があった形跡に気づき、何かあったのかもと胸騒ぎがした。復帰させてから急いで折り返すもつながらない。心配していたところ、なんと俺がスマホを使えなくなったのとほぼ同じタイミングで、お袋も自分のスマホを紛失し、2日ほど使えなくなっていたらしい。スマホは無事手元に戻ったそうだが、タイミングが一致しすぎている。

そうかと思えば、先日、伊勢から我が家に遊びに来てくれたマー坊は、豊浦を離れて広尾に向かう道中、途中の苫小牧のとあるところで、伊勢の自分の店に春先に来てくれた北海道のお客さんとばったり出くわしたという。こんなことあるだろうか?とわざわざ連絡をしてきてくれた。

久しぶりに上京し、誰か友人に会えないかと考えていた矢先、まさにそのタイミングでその友人から電話が来るとか、そんなことも、もはや珍しくなくなった。

こうした出来事を、人は「偶然」と呼ぶ。だが、それしかあり得なかったのだから、実はこれは「必然」だ。「もしも」というものは、いつも存在しなかった。我々はただ今の連続の一本の道でいつも起きている出来事にでくわしている。

選択して人生を歩んでいると思いたい気持ちはよくわかる。しかし残念ながら、その選択もまた、過去の連続から導かれた必然の結果にすぎないわけだから、それを果たして自由意志による選択と言えようか?
ということであれば、人生とは成るようにしか成らないということになる。そしてそれは、自分が主人公として一喜一憂しているドラマを、ただ観ているだけの夢だという話は大昔の賢人たちも言っている。もちろん、それがどういう仕組みなのかはわからない。

つまり人生はワンダフルなのだ。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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