子どもたちから父の日のプレゼントが届いた。「鰻」だ。
東京にいた頃はよく食べていたが、北海道に来てからなかなか美味しい鰻を食べる機会がない。それで今回の父の日のプレゼントの希望を聞かれた機会にリクエストしたのである。

父の日にはまだ早いが、待ちきれず、もう食べることにしてしまう。肉厚で柔らかい、美味い鰻だ。あとまだ冷凍庫保管に2尾残っている。今週には息子と娘たちが休みをとって本州から遊びにくるが、あいつらがくると食べられてしまうので、その前に食べてしまわないといけない。美味いものは先に食べてしまうにこしたことはないのである。

今回は父の日。以前、母の日について書いたが、俺の父は他界した。だから俺には感謝を伝える父はもういない。だがたとえまだ生きていたとしても父に感謝の意を伝えることはなかったろう。
一般的な話として、どうなんだろうか。父親と息子の関係というのはお互いに気恥ずかしいものではないか?生前の父とは時に難しい議論はしたものの、ふざけた話はしなかったし、お互いに親しみを伝え合うことなどすることもなかった。多分父も息子に対して何かもどかしかったのだと思う。俺も息子を持ってそれが何かわかった。弟も同様だった。
だが言葉や態度に示さなくても、伝わるものは伝わるものだ。
歳をとり、癌を患い、弱くなった自分の立場を認めたくなかった父は終始厳格な父親でいたかったはずで、最期まで息子には病床で痩せ細って弱々しい姿を見せたくなかったことを感じた。美味いものを食えなくなるんだったら死んだ方がマシだと、好きなものを咳き込みながらもなんとか食べ、誤嚥性肺炎で果てた。ホスピスに入ってから、「親父、このまま長生きすると金がかかってたまらんぞ。」と、俺はいつもなら親父が言うような皮肉をまぜた冗談を愛情をもって言ってやったのだが、そのすぐあとにそうして亡くなった。「お前にそんなことを言われる筋合いはないぞ」といわんばかりの意地を見せ、その死に様を父親として息子たちに見せたかったのかもしれない。
今日は父の命日だ。もう3年になろうとしている。いまだに俺の夢の中にも出てきてくれない。でももしや父の日に枕元に出てきてくれないかと期待している。出てきたら何を話すか。素直に対面できるだろうか。今から覚悟をしておかなければならない。
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