MENU

創立10周年記念式典

33
1

ブログ閉鎖中の話題(2016年8月7日)
いよいよ今回のベトナム旅行のハイライトである「ESUHAI創立10周年記念」の式典の日となった。準備やリハーサルの為に早く行く先生達と、一緒にタクシーに乗る。
会場のホテル日航サイゴンは、ホーチミン市ではかなり高級ホテルでる。

ESUHAIの美女たちと記念撮影。(見ていたら入るように言われた)

午後5時30分からお客様の入場が始まり、6時に開会となる。
最初にESUHAI社の創立以来の経過を順番にビデオで見せる。
そして古くからのソン社長の親しい人達が大画面に登場して、昔話をする。
私は東京での撮影時には20分くらい話したが、それを2~3分に編集してある。

ビデオ放映は恥ずかしかった。(ベトナム語の字幕が出るのは初めての経験)

2番手で私が登場したが、自分がしゃべるのを見るのはなんだか恥ずかしい。
もっと若いかと思ったら、顔には深いシワがあり、皮膚は弛み、まるで見ちゃいられない。
その顔を縦5メートル、横10メートルくらいの大画面に映し出されたら、見ている人は構わないだろうが、その場にいる本人のことも考えて欲しい。

ソン社長の挨拶。

その後にソン社長が挨拶をする。最初に2分ほど分を日本語で話し、次にまた本人がベトナム語で同じことを話す。
それを繰り返すのであるから、通常の式典の2倍の時間が掛る。
その後に登場したのがホーチミン市日本総領事という男だった。

挨拶に立つ人の名前を画面に映し出す。

この男がキザというべきか、凄いというのか、日本語で話し出して通訳がベトナム語に訳した。次に話し出したら、ベトナム語だった。それを通訳が日本語に訳した。
こんな経験は初めてだ。

ベトナム人に聞いてみたら、「あの人のベトナム語は非常に上手だ」と言っていた。
ピアノの発表会じゃないが、彼は発表の機会を狙っていたのではないか?

料理は洋食の皿で、ベトナム料理と中華料理。

その後もベトナム関係者の挨拶が続き演芸の時間となり、社員が「嵐」の歌と踊りに続き、ヨサコイをやり、会場は盛り上がる。
私には社員だけが盛り上がっているようにも見えた。

宴会の料理はベトナム料理と中華料理で、かなり高級だと思う。
それは「フカヒレ・スープ」と「アワビの蒸し物」が出て来たことで分かる。

社員がヨサコイを踊る。みんな芸達者である。

宴会というのは普通は「デザートが出れば終り」と思い、後ろの方の席を見たら、もう大半がいない。私はベトナムの結婚式にも出たことがあるが、この国では「食べ終った順から帰る」のである。

最後の締めの挨拶が無く少しシマリが無かったが、これもベトナム式だと受け入れる。「日本の常識は世界の常識ではない」のである。

社員が「嵐」の歌を熱唱する。

(おまけの話)
パーティの席で思い掛けない人が隣の席に座った。私は本当に驚いた。
私は61歳で会社を売却したが、彼はその時に事業部の中の1つを引き受けてくれた男だ。彼の名前はSさんである。正義感が強く、商売上手な営業マンであった。

娘のピアノ演奏に大満悦のソン社長。

その後、ある機会に私はS社長をソン社長に紹介したことがある。
Sさんはやる気十分で、ベトナムに日本企業相手の油圧機器を販売する会社を興した。
まだ商売はそれほどではないが、新天地に希望を持って進出する勇気に感心している。

2曲目は全社員が立ちあがって熱唱する。

ベトナムでは結婚式、葬式、記念式典などでは大音響が特徴である。
我々の席は上席なのだが、スピーカーが我々のすぐ右側にある。
だからお互いに大声で話しても、良く聞き取れないし分からない。

私が教室で、ベトナム人の学生と日本語で話している時のようなもどかしさである。
パーティが終ったので、私の帰国日までにSさんの会社で再会を約束して別れた。
その時に、「その後」をゆっくり話し合いたい。

ソン社長と記念撮影。

SONG NHAT HOTEL から

\ この記事をシェアする /

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

アクセス総数
1,615,427回

コメント(1件)

  • 僅か10年でこれだけの式典を開催できるのは素晴らしい! 記念式典は、社員と社長のためのお祭りだからみんなで大いに盛り上がって良いですね!

コメントを書く


心の伊達市民 第一号TOPページに戻る