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小さな話(146)

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【ハチミツ】
毎朝の食事の時にパンを食べているが、パンにはバター、ジャム、ハチミツを塗る。
ハチミツの残量が少なくなったので、ネットでいつものように注文しようと思った。
サイトを開くと私の希望のハチミツは、1本で1本1960円、それに送料が540円かかる。

同じ画面に3本で1本の「おまけ」、更に「いまなら22%の割引」とあった。
本当は2本くらいでいいのだが、3本にすると1本の「おまけ」が付いた上に、22%の割引となる。結局は「おまけ」と「22%割引」に釣られて、4本も買うことになった。送料は1本も4本も同じ540円だった。

かなり値段は安いが、以前にブログに書いたように「偽物かどうか?」の私のテストで合格品だった。   

「おまけ」に釣られて、4本も買った「ハチミツ」

【庭先で釣り】
私の住む家の周りは、川、運河、海に囲まれている。
都心で大地震が発生し、津波が起きたらどうなるか?
私の想像では、『津波がここへ来る途中には「夢の島」などの障害物がある』から大丈夫だろうと思っている。

水辺が近いので、時々、釣りをしている人を見掛ける。
川沿いのマンションは、川との間に一般道があるので「庭先で釣り」とはならないが、写真もそうだが私の住むマンションも運河に面している。

だから自分のマンションの敷地内から、釣りが出来るのである。
考えてみれば「庭先で釣り」とは贅沢な話だが、でも見ていても魚はなかなか釣れない。

「庭先で釣り」

【ミスト噴射】
目で見て「夏だなー」と感じるものには、「何」があるだろうか?
これが意外に少なく、「スーパーのスイカ」、「積乱雲」くらいしか思い出せない。
私が最初に目で夏を感じるのは、銀座で見る「ミスト噴射」である。

都バスで「銀座四丁目」の停留所に到着する少し手前にある小さな公園で、今年もミスト噴射が始まった。あれは見るだけで「夏が来たなー」と感じる。

でもミストの真下に行けばともかく、写真のようにそばにいるだけでは涼しくないのでは? 試しにAIに質問してみたら『気温30度以上、湿度70%以上になると効果が薄れる』とあった。

 「ミスト噴射」(銀座四丁目)

【盆踊り】
7月11日(土)と12日(日)の2日間にわたり、晴海埠頭公園で「HARUMI FLAG 自治会」主催の盆踊りが行われることを知った。
最近は夜に出掛けるのがとても面倒になっているので、盆踊りを見に行かないと思った。

中央区のお知らせでは『東京湾の絶景を望む晴海埠頭公園にて、「晴海ふ頭公園盆踊り2026」が今年も開催されます。レインボーブリッジや東京湾の夜景を望みながら、潮風の中で踊れる都内では珍しい開放的な盆踊りです』。

そこで11日の午前中に、散歩がてら盆踊り会場を見に行ってみた。
広い芝生広場の中央に盆踊りの櫓が組まれていて、賑やかに提灯が下っていた。
準備の人達以外に誰もいない盆踊り会場は寂しいが、これが暗くなると盛り上がるのだろう。

 「晴海ふ頭盆踊り会場」

【変換間違い】
少し前に「ブログ」の文字の変換間違いと言うべきか、キーボードのタッチ間違いから理解不能の文字がそのまま載ってしまった。いつもは前日に再確認をしているのでこんなことは起きないが、今回は前日のチェックをしなかった。

それを読者のYさんから、ブログのコメント欄で指摘された。
意味不明の単語は「小政府高菜」で、書いた私でも意味不明である。

これは「個性豊かな」の間違いで、「KOSEI YUTAKA」と打つべきところが「Y」が抜けて「KOSEI UTAKA」になると、変換で「小政府高菜」となったのである。これは面白いと感じて、試しに「理解不能」の文章で、「R」と「F」を抜かして「IKAIUNOU」を変換してみた。
すると「位階右脳」となった。しばらくは、これで遊べそうだ。

 私の使っているパソコン

(おまけの話)
年のせいか、ある時、突然、昔の思い出が甦る時がある。
最近のことは忘れているのに、子供の頃のことを覚えていたりする。
今回は「肋膜炎(ろくまくえん)」のことだった。

図書館から借りてきた本で、タイトルは「DANGER」という戦前から戦後にかけての小説がある。小さな字で484ページもあるので、返済期限までに読み終るのが大変だった。

 小説「DANGER」★★★

ストーリーは世界的バレエ振付師の久我一臣にインタビューする2人の編集者を通して、久我の半生を辿り、戦前から戦後の彼が語る壮絶な戦争体験は2人の予想を超える。
芸術と戦争を通し、過酷な運命に希望を見出す人々に迫る話である。

この小説の中に「肋膜炎」で亡くなった、小さな子供の話が出て来る。
なぜそれが気になったかと言うと、私も子供の頃に肋膜炎になったからだ。

「肋膜炎」という病気は今頃になって知ったのだが、「肺の表面を覆う胸膜に炎症が生じる病気」だそうだ。当時は薬も治療法も無く、よく助かったものだと思う。

 水鉢で豆を育てる(4日目)

私の思い出は「母の背中におんぶされて、暑い真夏に小金井から国分寺の病院まで歩いて行った」ことである。その時は戦争中だったか、戦後のことだったは分からないが、薬も食料も不足していた地代であったのは確かだ。

これも後になって知ったのだが、医者に『(つ)が取れるまで生きたら、後は大丈夫』と言われたそうだ。その意味は「年の数え方」で、「1つ、2つ、3つ・・・九つ(ここのつ)」で、次は「10(とお)」であるから、「10歳まで生きられたら、その先は大丈夫」ということだったようだ。本を読んで、母の背中の温もりを思い出した。

 水鉢で豆を育てる(7日目)

家から病院までは、約3キロある。そこを何回も私をおぶって歩いて通った母は、さぞ大変だったろう。タクシーなど無い時代だし、自転車も無かったか、或いは母は乗れなかったのかもしれない。

病院に行く前にサツマイモを蒸かしておいて、帰ったら食べようと思っていた母は『私が全部食べちゃった』と言っていた。
私は「とお」まで生きたので、勢い余ってか今では80を過ぎてしまった。

そんな母に『どんな親孝行をしたか?』と考えると、大したことはしていなし、もう手遅れである。

 水鉢で豆を育てる(9日目)

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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