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大きな話(01)・・・2つの話題

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【台湾から来たKさん】
前の年から台湾のプロカメラマンのKさんが言っていた。『来年は東京に行く』。
5月初めに日本に住んでいる元台湾人のLさんから電話があり、『5月24日にKさんと2人でお宅を訪問したい』と言った。

Lさんは若い頃に私が保証人で日本の大学に留学して来た。そして私の友人の会社でサラリーマンを経て貿易会社を設立した。

その後に色々あり、彼の会社の破産処理のお手伝いをしたという深い仲である。
Lさんの父親が亡くなった時は夫婦で台中まで行き、お通夜、葬儀、埋葬まで私達は参加した。

  インターホンに映るLさんとKさん

Kさんは35年くらい前に、写真の勉強で日本にやって来た。
そして私の会社の社員寮に滞在して写真大学に通い、帰国後に台中で写真スタディオを開いて成功した。

その後、永住権を取るためにカナダに家を買い、私たち夫婦はそこにも行った。
数年前には彼と2人で台湾に残る日本の痕跡を訪ねて、車で2泊3日の台南の旅もした。
KさんとLさんは元々の友人であり、そんなことから私は何度も台湾に行っている。

 Kさんの台湾土産

午前11時に2人はやって来たが、Kさんは髭を生やしていたのでビックリした。
Kさんとは久し振りに会ったので、色々な話があった。
今回の来日は姉妹関係の、八王子ロータリークラブとの交歓会だったそうだ。

娘さん2人はカナダで大学に進み、2人共カナダで結婚して子供もいるが、夫はカナダ系台湾人と香港人だそうだ。

話が通じない時は、Lさんが通訳をする。現在は奥さんと2人の生活で、ゆったりと過しているようだ。彼はもう73歳なので、仕事は社員に任せているようだ。
カメラは『SONYが良い』と言っていた。

築地のお茶専門店で「抹茶」を買うKさん

中国の習 近平国家主席は「台湾統一は核心的利益の核心」と公言しているので、彼等にそのことを聞いてみた。1997年にイギリスが中国に香港を返還した時に、台湾人の金持ちは「次は台湾」と恐れ外国に資産を移した。

Kさんはカナダへ、Lさんの父親はLさんを日本へと、いざという時の為に拠点を作ったのである。平和ボケしている日本人には、よく分からないことかもしれない。

現在の台湾危機に付いて、Kさんの考えを聞いてみた。すると『台湾人はあまり心配していない。兵役が義務だし、40歳までは予備役で近代兵器の取り扱いの講習を受ける義務がある。ミサイルもドローンも製造している』と、意外な言葉が返って来た。

本堂真下のロッカー式納骨堂

昼時になったので、家を出て築地本願寺に向かった。
以前に話していた、私のロッカー式のお墓を見るためである。
台湾にもロッカー式のお墓はあるが築地本願寺より機械化されていて、番号で管理されていてボタンを押すと自動倉庫から出て来る。

私のお墓を見た後に、境内の日本レストラン「紫水」で食事をした。
そして食後は銀座に出て、プロカメラマンのKさんを誘って「SONY」のフォトギャラリーに案内した。2人はその後、銀座をぶらつくと言うので、そこで私は再会を約して別れ家に戻った。

「紫水」でランチ(築地本願寺境内)

(おまけの話)【第五福竜丸】
大江戸線の「築地市場駅」を出た左側の壁に、「原爆マグロのプレート」が飾ってある。
1954年にアメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、その影響で近くでマグロ漁をしていた「第五福竜丸」が死の灰を被ったのである。
それが危険なものとは知らず、日本に持ち帰ったマグロは築地市場に運ばれた。

そしてマグロが放射能に汚染されていたことが判明し、築地市場に埋められた。
埋められた場所が「どこか?」は今は不明のようだが、当時築地で働いていた関係者は知っていると思う。

「原爆マグロ」のプレート

現在は築地市場が豊洲に移り、跡地に大規模再開発が行われている。
記念プレートには『このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した子供たちと共に、この歴史的事業を記憶するために、ここにプレートを作りました』と書いてある。

詳しく調べてみると水爆実験で被災したのは、第五福竜丸だけではない。当時の厚生省が認めた被災船は856隻にもなる。全国で捨てられた被爆マグロは457トン、寿司に換算して250万人分にも及ぶ。

小池都知事は「豊洲の土地は汚染されている」と言って移転を先延ばししたが、築地の原爆マグロには何も言わなかった。

 「都立第五福竜丸展示館」

問題の第五福竜丸はゴミで埋め立てられた「夢の島」に、「都立第五福竜丸展示館」を建てて保存されている。私は今までに2回ほど見に行っているが、築地市場の再開発が始まったので、久し振りに行ってみることにした。

展示館の説明書では『第五福竜丸は1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により被爆した静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。爆心地から160キロ東方の海上で操業中、・・・』

『突如西に閃光を見て、地鳴りのような爆発音が船を襲いました。やがて実験により生じた「死の灰」が第五福竜丸に降り注ぎ、乗組員23名は全員が被爆しました』。

 「第五福竜丸記念館」の入口

5月25日(月)に、久し振りに「第五福竜丸」を見に行った。
地下鉄・有楽町線で「新木場駅」で下車して、夢の島公園に入る。
天気も良く、気温は30度くらいになっているようだ。歩くだけで汗が出て来る。
公園の左の道を進むが、誰にも会わない。「少し変だなー?」とは感じていた。

記念館の前に着いたら、なんと「休館日」の札が出ていた。
「バカだなー! 調べてから来れば良かった」と思ったが、いまさらどうしようもない。
公共の記念館のようなものは、大体が月曜日は休館なのである。それを忘れていた。

 前から見た「第五福竜丸」

この記念館は「第五福竜丸」を設置してから建物を建てたようで、船の長さいっぱいの建物である。館内で「第五福竜丸」の全景を撮影するのは、場所が狭くてとても難しい。
「休館が幸いした」と負け惜しみを言いながら、窓の外から「第五福竜丸」の撮影をした。

建物の両側には窓は無い。前後に入口があり、そこだけガラスになっている。
そのお陰で撮影できたのだが、ガラスに風景や光が反射して納得の写真にはならなかった。でも、「もう一度、来る」という気持ちにはならなかった。

 後方から見た「第五福竜丸」

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 日本に住む我々にとって海外に生活の拠点を持つという感覚に「危機感」は無い。大橋巨泉氏のように功成り名遂げた人間が別荘のような感覚でカナダへ一つの拠点を構えることがあるが、台湾人の海外に拠点を構える理由に有事に対する「危機感」があるのには驚いた。中国による実効支配への不信感は我々の想像を超える。

  • イスラエルのエルサレムに住む友人が話していた。各家庭、各マンションユニットには必ず分厚いコンクリート製の避難部屋が造られていて、いざというときにはそこに避難生活するのが当たり前だとのこと。最近のハマスとの戦争時も、家族全員そこに入って生活した。周囲の爆音、建物の揺れ、など当然経験している。戦争というものがあって当然という条件の上に暮らしがある国がたくさんあるのを多くの日本人は知らない。

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