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「まんだらけ」と中野七福神

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ブログ閉鎖中の話題(2016年5月21日)
私は中学・高校時代の友人たちと定期的に「都心を歩く歩く会」を開催している。
多くは寺社巡りであるが皆はまだ枯れておらず、ご利益を求めて「七福神巡り」が多い。
今までに訪れた寺社は数え切れない。都内の有名な七福神はほとんど踏破した。

沼袋氷川神社は立派であった。

残っているのは、あまり知られていないようなマイナーな七福神だけである。
今回の企画はインターネットでやっと見付けた「中野七福神」である。
JR中野駅から北に歩いて15分の西武線の沼袋駅の近くにある、「沼袋氷川神社」にその七福神はある

「七福神」と、その前に置いた私の作品の「狛犬」。
 

通常は7つの寺社を廻って七福神にお参りするのだが、ここは忙しい現代人の為にだろうか一ヵ所で七福神を全てお参り出来るという、かなり商売っ気がアリアリの神社だ。 我々の目的も「歩く」というのが第一なので、一ヵ所で済むのでは困る。
そこで私はその辺りの皆が興味のありそうな他の場所も用意した。

私の彫刻作品の「狛犬」と沼袋氷川神社の本殿。
 

その日は晴れ男の私には珍しく、朝から雨だった。
しかもその前後の日は晴れだというのだから、私の「お天気パワー」も終ったようだ。
集合時間の午前11時に中野駅改札口に集合したのは、いつもの6人だった。

すぐに沼袋氷川神社に向かって歩き出す予定だったが、Y君が『午後2時から老人会があるので、12時にはここを出たい』と言った。

アニメの聖地の発祥の店「まんだらけ」。

そこで予定を変更して、先ずは軽食とコーヒーとなる。
12時にY君が帰って行ったので、残りの5人はサンロードを通り抜けてブロードウェイに行く。 ここには世界的に有名な「オタク文化の聖地」がある。
私以外の4人はそこを知らない。みんなジジイなんだなー。

かしの「ミゼット」のミニカーは15万円もする。

ブロードウェイの3階と4階には日本が誇るサブカルチャーであるマンガ、アニメ、フィギュアなどの専門店が軒を連ねている。
『中野に、こんなところがあるのー!』とみんな驚いている。
そこには外国人のオタクも大勢来ていた。まだまだ東京は奥が深い。

「月光仮面」などのロボットもかなり値段が高い。 

オタク文化の見学の後に、雨の中を本来の目的地である「沼袋氷川神社」に向かう。
西武線の線路を渡り左に曲がるとこんもりした森が見えて来るが、そこが氷川神社だ。
本殿にお参りし、記念撮影をした後に七福神にお参りする。

神社の一角に七福神が並んで立っていた。 K君が言った。
『1ヵ所で全て済んでしまうと、なんだか有難味に欠けるなー』。

計画ではこの後に「ねじめ正一」の小説で有名になった「高円寺純情商店街」に行く予定だったが、雨の為に中止にして氷川神社で解散となった。

(おまけの話)
週刊ダイヤモンドという雑誌で「神社の迷宮」という特集をやっていた。
「神社・お寺を徘徊するオタク」の私としては、この雑誌を買わずにはいられなかった。
神社に付いてはかなり知っているつもりだったが、それでも「目から鱗」の記事もあった。

週刊ダイヤモンド「神社の迷宮」。

 

私がこの特集で初めて知った記事に、「神社本庁」と「単立神社」があることである。
この説明をするといくらページがあっても足りないので、今回は省く。
神社の頂点に立つというか、別格なのが伊勢神宮である。
しかし伊勢神宮の正式名は、ただの「神宮」であることも初めて知った。

神社は全て伊勢神宮の配下かと思っていたが、そうではないらしい。

有名な神社で神社庁に属していないのは「明治神宮」、「日光東照宮」、「伏見稲荷」、「出雲大社」などであるが、「靖国神社」は神社庁と何をもめたのか、一度は離脱して、また復帰している。神様の世界も俗世界のように争うようだ。

それにしても「葬儀、戒名」で稼げるお寺と違って、神社はあまり稼げるものが無い。
だから七福神は貴重な財源なのであろう。

 神社は細々と稼ぐ。  

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(1件)

  • 10年前には「老人会」の会長をやっていた。入足の引っ張り合い会早々に会長を押し付けられてしまった。70代は老人会では若手である。何も知らずに会長になったが、その「老人会」はなんとも酷い足の引っ張り合いで何時も揉めに揉めていた。長老たちが若い会員を虐めて得意げに大きな顔をしている。会長に祭り上げられた私は右往左往するばかりである。揚げ足取りは日常茶飯事。 常に戦場であった。 5年の任期終了後に疲れ切って私は退任した。

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