【ビートルズがいた夏】
渋谷に「シアター・イメージフォーラム」という映画館があるのを初めて知った。
なぜそんなところまで行ったのかというと、そこで「ビートルズがいた夏」という映画を見るためである。東京ではここでしか上映していないので、渋谷まで行くしかなかった。
1964年にビートルズはニューヨークのJFK空港に降り立ったが、その年に私はニューヨークにいたのである。私はNY世界博覧会の日本館で働いていたが、その時はビートルズがなんだか知らなかった。
でも「ビートルズがいた夏」の映画を通して、私の青春時代の再確認をしようと思ったのである。

この頃がどんな時代だったかを振り返ると、前年の1963年にケネディ大統領が暗殺された。そして大統領選挙で街は騒がしく、ジョンソンが大統領に選ばれた。
日本では赤坂の米国大使館ロビーで、駐日大使のライシャワー氏が19歳の日本人少年にナイフで刺されて重傷を負った。
まだまだ日米の関係はギクシャクしていたし、沖縄返還は8年も先のことだった。
そんな時代のドキュメンタリー映画で、2023年制作のフランス・ルーマニア合作の映画である。だから私の青春時代を高齢になってから見直す上でも、是非とも見に行こうと思っていた。

初めて行く映画館なので、早目に行って場所を確認しておこうと思った。
渋谷駅から青山通りを進み、青山学院の少し手前を右に入るとすぐそこにあった。
チケットは現金支払いだけで、運良く月曜日はサービスデーで1300円だった。
待合室も無い小さな映画館なので、外へ出てランチを食べたりしながら時間をつぶした。午後1時15分の開演の10分前から入場が始まった。
B1の劇場に入ると座席数は98席と小さく、しかもお客は15人ほどしかいなかった。

この映画はビートルズ来日60周年を記念して公開された。
映画は「1965年8月13日、JFK空港へ降りたったビートルズ」。すべてはここから始まる。
私がニューヨークにいた1964年は、ビートルズはコンサートはせず「エド・サリバン・ショー」に出演だった。
映画の解説を読んだら、『ルーマニアの巨匠アンドレイ・ウジカが10年以上の歳月をかけて制作。ニュース番組や個人の8ミリフィルムから抜粋したアーカイブ素材で構成した映像に、フランス人アーティストのヤン・ケビによるアニメーション、・・・』
『主人公の詩人ジェフリー・オブライエンとヒロインのモデルとなったジュディス・クリステンの個人的な文章、ウジカ監督自身が1972年に書いた詩を用いた声を加え、歴史から消え去ってしまう、儚くも忘れ難い瞬間を想像力豊かに蘇らせた』とあった。

映画は私の予想と全く違う内容だった。
ビートルズが出てくる場面は最初と最後だけで、彼らが歌うわけでもなくただニュースに出るだけであった。画像の多くは白黒で粗く、ストーリーもナレーションも無い。
ニュース画像、個人所有の8ミリフィルムなどの寄せ集めであるが、懐かしい場面が多かった。
私が働いていたNY世界博覧会は2年間行われて、シンボルマークの巨大な地球儀、博覧会場の光景などは見入ってしまった。
残念ながら日本館は登場しなかったが、あの頃のことが色々と思い出された。
色々な場面が次々と登場する。ハーレム、シェイ・スタジアム、ガソリンをがぶ飲みする巨大なアメ車、豊かな人々。あの時代の輝かしいニューヨークを映し出していた。

NY世界博覧会の会場の高架線を挟んだ反対側には「シェイ・スタジアム」があった。
ここはニューヨーク・メッツの本拠地なので、メッツ球場と呼んでいたように覚えている。
私は一度だけ、ここに本場の野球を見に行ったことがある。その後、このスタジアムは2009年に解体されてしまったようで、いまはどうなっているか分からない。
誰も年を取り残り時間が少なくなると、昔のことが美化された思い出となる。
私も例外ではなく、美しい青春時代の思い出に耽るために映画館に足を運んだのである。その頃のニューヨークに縁の無い人には全く面白くない映画だと思うが、私には良かった。

(おまけの話)
【映画館の裏町】
映画の開始までかなり時間があったので、映画館の裏手を散歩した。
静かな裏町という感じでお洒落な店が並んでいるが、人通りは少ない。
こんな場所で「商売になるのかな?」と他人事ながら心配する。
電柱に大きく「路上・公園等・喫煙禁止」、「違反者は過料2000円」と書いてあった。
渋谷に来る若者、外国人が路上飲酒、路上喫煙で困った渋谷区は、遂に「過料」を科すことになった。

【I’m Dounut】
まだ時間が余り休むところを探して歩いたら「I’m Dounut」という変な名前のカフェがあった。外階段を2階に上がると、そこには色々なドーナツを売っていた。
奥には着席できる場所があるので、ドーナツを1つ選びカウンターに行った。
飲み物もよく分からないものが多いので、「ホットほうじ茶ラテ」というものを注文した。
これがなんだかよく分からなかったが、とにかく不味い。
ドーナツも「生ドーナツ」とかで、「一般的なドーナツより水分や油脂が多く、低温・短時間で揚げる」そうで、これも私には美味しいとは思えなかった。

【マリオカート】
映画を見終り、暑い中を渋谷駅まで歩いた。
駅の近くに行くと、色々な外国人観光客に出会う。銀座辺りを歩いている外国人観光客とは、かなり違う。裸のような服装の女性、下手な落書きをしたような刺青男女、トイレのスリッパのようなものを履く女性。私の年齢になると、もう渋谷は無理だ。
歩道の赤信号で止められたら、そこにマリオカートに乗った4人組がやって来た。
写真でも撮ろうかとお愛想で手を振ったら、向こうも手を振り返した。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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11-22は私の車の番号です。ケネディー大統領が暗殺された日なんですよ!「良い夫婦」とも呼ばれます。そして、1917年がケネディー大統領誕生年。1943年にはケネディー大統領はまだ26歳。暗殺された年は、1963年です。
ビートルズがアメリカに来たときは、Hさんはニューヨークで世界博の会場で働いていた。ビートルズを軸に自分の歴史を振り返るのも面白いです。
私のビートルズは、中学で英語を知り始めたころで、ビートルズの歌を英語で歌うのに熱中していました。映画”HELP” を日比谷のロードショー劇場のみゆき座で、入れ替えなしで続けて2回見て、いくつかの歌を映画と共に歌ったりしました。学校での模範的優等生を演じていたうっぷんを、ビートルズを通して晴らしていたのも思い出します。でも、彼らが日本に来て武道館で公演したころには、すっかりその熱も冷めていました。
またYさんに間違いを指摘されてしまいました。ケネディ大統領が暗殺されたのは1963年です。最近は年のせいか、このような単純な書き間違えが増えて来ました。訂正しておきました。