■スガル
「日本書紀」によると雄略天皇は神武天皇から数えて第22代目…。たいへん武勇にすぐれ、外交にも内政にも力を入れた天皇だったという…。この天皇の御代に”スガル”という名の家臣がいた。天皇のそば近くで侍り、いいつけをすぐに実行する忠実な元気者だったという…。
この頃、日本では養蚕が盛んになりつつあった。絹糸は、輸出品として高い値段で売れたからで…治世の6年目、西暦61年の事、天皇は宮中でも妃たちにカイコを養わせようと思い立ち、スガルを召し出して「国内のコを集めてこい」と命じた。この頃にはカイコの事はたんに「コ」と呼ばれ、後にコを飼う=飼われているコ=カイコと呼ばれるようになったようで…。

「その子たちは、お前が養ってやるがよい、お前に少子部連の姓を授けよう」スガルは、幼子たちを宮殿の垣根のそばで育てる事にした。今でいう保育園のようなものですよね?以上の話は「日本書紀」等に書かれていますが、その後、養われた子供たちがどうなったか?までは書かれていない…。
このスガル、もう一つのエピソードがある。雄略天皇がある日、妃と同衾しておられるところに、スガルが知らずに参上してしまった。
その時ちょうど雷が鳴ったので、天皇がテレ隠しにかスガルに「雷を捕まえられるか?」と聞いたところ「やってみましょう!」と言って即座に飛び出して行った。赤いかつらを額につけ、赤い旗を立てて雷を追いかけ、「雷の神よ、天皇のお召しであるぞ!」と叫びつつ馬を走らせた。

スガルは、生涯を天皇のお側で、養蚕の指導等をして仕えたようです。彼の死後、葬られた彼の墓の上に雷が落ちてはさまるという事件が起きた。人々は、墓標に「生前も、また死んでからも雷を捕まえたスガルの墓」と刻んで語り伝えたという…。