■市川團十郎
350年近く続く歌舞伎の名跡で、歌舞伎市川一門の宗家であり、歌舞伎界で最も由緒正しい名前に市川團十郎という名前がありますよね?現在は、十二代目市川團十郎が2013年に亡くなり、空き名跡となっているのだけど…。
実は市川團十郎という名前には数々の因縁があり、何故か團十郎という名跡を継ぐと不幸になる!という…。まず、初代團十郎は、役者仲間に舞台上で刺殺されている。何があったのか?は分かりかねますけど、人気役者が舞台上で演技中に刺殺?なんか考えられませんよね?
二代目團十郎は、日本初の千両役者となったんですが、絵島生島事件に巻き込まれ、収拾に奔走する日々を送ったようですし、三代目團十郎は、寛保元年(1741年)に大坂で上演中病に倒れ、翌年(1742年)死去している…。

六代目團十郎は、襲名後、風邪をこじらして急死!弱冠22歳…。さらに七代目團十郎は、歌舞伎十八番(「暫」「外郎売」等)を選定しましたが、天保13年(1842年)、天保の改革によって、江戸から追放されている。八代目團十郎は、「切られ与三」役で人気を博した二枚目ですが、嘉永7年(1854年)、江戸から追放された父親(七代目團十郎)に会うため大坂に行き、旅館で自殺!動機は判然としていない…。
九代目團十郎は、八代目團十郎の弟なんですが、養子に出された先で強盗の被害に遭っている。本人は九死に一生を得るが、養父は刺し殺された。また、五代目・市川新蔵を養子として、十代目にすべく育成するのだけど、新蔵は眼病で片目を失明!その後急死する。十代目團十郎は、死後に追贈された九代目の娘婿であり、生前に團十郎と名乗った事はなく、28歳で銀行員から転職した異色の歌舞伎役者ですが、役者としては恵まれなかった…。

團十郎という名前、因縁なのか呪いというのか、何らかの力が働いている名前なんでしょうかね…?