■語り
大人はもちろん、子供でも「桃太郎」や「浦島太郎」の話を知らないという方は少ないでしょうね…。アニメや絵本等の影響も多分にあると思われますが、何より幼い頃に祖父母や両親から聞かされた事で、今なお記憶に残っているという方も多いでしょう。子守唄の代わりに、または家族団らんの話題に民話は何気なく語られて、そのストーリーは人々の心に自然に根付いて行くものではないでしょうか?
古くから民話等は、そのように”語り”によって脈々と口頭伝承されて来たのではないでしょうか?ただ、今でこそ民話は気軽に語れますが、遠い昔はそうではなかった!正月や祭り等人々が出会う神聖な日、いわゆる「ハレの日」に語りは行われて来た…。
そうした特別な日とあって、語り手は神様の代理者として話を語り、対する聞き手もそれに応えるように厳粛な心持で臨んだのさ…。

実際の語りの中にも作法は存在し、まずは、語り始め…語り手は、よく知られている「むかし、むかし~」のように話の冒頭で「むかし」という決まった言葉を述べる。これは「発端句(冒頭句)」と呼ばれ、この「むかし」という言葉の意味は”いつのことだかわからないが昔のこと”を指す。またそれだけでなく、これから語りを始める事によって、語り手と聞き手が物語の中、要するに”現世から異世界へと移っていく”事を示す転換の意味も込められているのでないでしょうか…。
そして、あまり知られていませんが、発端句と対になる言葉が「結句(終末句)」。その名の通り、語り納めに「これで話は終わり」という意味で話されますが、発端句と違い結句は2通りの言葉がある。1つは”語りが神聖なもの”という名残から話の締めに語った言葉「尊払い(とうとはらい)」が徐々に変化した遠野等で言われる「どっとはらい」。もう1つは「いちがさけた」という言葉で、これは主人公が幸せな結末を迎えたという意味の「一期がさかえた」が次第に変化したものと言われている。

逆に「話はお庚申の晩」といって、庚申の日や正月、十七夜等特別な日の夜は夜通し語りを続けなければならないという禁忌もある。これは、特別な日には盛んに語って夜を楽しむといった娯楽的な意味が内包されていると推測されますけどね?
今は薄れつつある語りのタブーからは、古くからいかに語りが大切なものとして人々の心に根付いていたかが分かる気がしますね…。そして、語りは、神様からパワーももらえるそうで、大切にしたい習慣かも知れませんね…。