■即身仏10 忠海上人・円明海上人
結局もう10回も即身仏の事取り上げてるんですね…。なかなか、即身仏の資料というのが、昔の事なんで、失われているものが、ほとんどでして…。今回紹介する忠海上人と円明海上人は、現存している即身仏の中で、非常に珍しい事に、同じお寺に祀られていて、2体祀られている事態、奇跡というか、非常に珍しい…。
山形県酒田市、日吉町、日和山公園の近くに海向寺という真言宗智山派のお寺に祀られている。海向寺は、湯殿山の行人の建立したお寺で、行人寺といい、昔は少し変わったお祭りがあった…。「作祭」といい、湯殿山大権現が目隠しをされて両手両足の自由を奪われた審神者に乗り移り、米の作柄等、一年間の吉凶を占うような祭りが、毎年2月18日に行われるような変わったお寺でもあったようで…。

本堂の左側に、立派な即身堂がある。向かって左側が忠海上人。俗名富樫条右ェ門。元禄10(1697)年、現在の鶴岡市で、庄内藩の武士の家に生まれた。実は、忠海上人、以前紹介した本明海上人の甥っ子にあたる方らしく、本明海上人が入定を遂げて十数年後に生を享けた事になる。偉大なおじさんに憧れて注連寺に入門した条右ェ門さんは、修行生活の後、古刹ながらさびれていた酒田・海向寺を再興。中興の祖とされている。住職となるが、やっぱりおじさんの影響なのか、即身仏を志す。湯殿山の仙人沢に籠って木食行に入ったのは宝暦3(1753)年。2年後の宝暦5(1755)年2月21日、念願かなって土中入定を遂げたと伝えられている。58歳…。入定の地は、湯殿山仙人沢とも海向寺の境内とも言われている。

忠海上人も円明海上人も、少し黒い感じがするのだけど、学術調査の前に、土中から発掘された後、生乾きだったため、蝋燭の煤やヨモギを燃やした煙で燻された形跡もあるらしい…。表面に墨や柿渋が塗られているともいう…。

海向寺の住職は、歴史をすごく勉強・研究されている方なので、もし行かれて、お話が出来る事が出来たらかなりラッキーかもね?
毎年、このテーマに付き合っていただいてありがとうございます。忘れずに書き残している事が、私が唯一即身仏さまに出来るご供養と思ってますので、毎年一回は、必ず書き留めて行こうと思っております。