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[2014.07.15]
■大湯環状列石
 「環状列石」とは、その名の通り、石を円や楕円などの形に組み合わせたもので、”ストーンサークル”とも呼ばれ、東日本に多く発見されている。中でも、北海道や東北地方に数多く分布している特徴がある。北日本にかつて独自の文化があった事を示す格好の材料ともなる環状列石だが、特に有名なのが、秋田県花輪盆地の北東部にある「大湯環状列石」ですよね…。 


 大湯環状列石は、日本最大のストーンサークルで、「万座環状列石」と「野中堂環状列石」と名づけられた、2つの環状列石から成り立っている。その大きさは、万座環状列石が直径48メートル、一方の野中堂環状列石は直径42メートル。2つのストーンサークルを形作っている石の総数は7000個にもなり、重いものでは200キロにもなる巨石が使われている…。 
 また、大湯環状列石の周囲からは竪穴式住居や大量の土器・土偶等が発見されており、先史時代の人々の精神世界を知るうえで、格好の材料を与えてくれている。 
 
 そもそも、大湯環状列石が発見されたのは、昭和6年(1931)のことで、昭和26年頃から本格的な調査が始められて、以後、研究が積み重ねられて来た。 
 
 現在では、約4000年前、縄文時代後期の遺跡と推定されている大湯環状列石ですが、縄文人がなぜ石を使ってこのような奇妙な形のもの作ったのか?という問いには、まだ結論が出てはいない…。考古学等の立場からは、祭祀場や墓であったという説が有力なものとして唱えられてはいますけど、一方で天文台説やUFO飛来地説等もあって、諸説が入り乱れている状況です…。 
 この環状列石を漠然と眺めていては分かりませんが、実は、環状列石に使われる石は、何でも良いという訳ではないようで、使われている石の多くは、「石英閃緑ひん岩」と呼ばれる、緑色の美しいもの。遺跡から7キロ離れた安久谷川から運んだものらしい…。かなりの重量のある巨石ですから、秋のうちに目星を付けておき、冬になり雪が積もってからソリで運んだのだろう…と言われている。この遺跡の建設者である縄文人にとって、多大な労力がかかろうが、美しい石で施設を彩る事が大切だったんでしょうかね…? 
 
 また、この大湯環状列石を作った人々が、天文に多大な興味を持ち、数字上の意味を大切にしていた事も分かっている。 
 
 先ほど、万座環状列石が直径48メートル、野中堂環状列石が直径42メートルと紹介しましたが、両ストーンサークルの間は、正確に90メートル離れている。これは、それぞれの直径を足した数字(48+42=90)と奇妙な一致を示し、これには何らかの数字上の意図があったものと推定されている。 
 また、万座環状列石にも野中堂環状列石にも、日時計状組石が1基ずつ作られているが、いくつかの集落をまとめたリーダーや、呪術者の墓と言われているだけでなく、その配置に明確な意図があった事が研究で明らかになっている。試しに、2つの日時計状組石と2つの環状列石の中心を線で結んでみると、不思議にその線は一直線になる!しかも、この線をずっと先延ばしすると、夏至の日没地点や冬至の日の出の地点をほぼ正確に指している事が確認される。太陽をはじめとした天体の運行を把握し、そこに何らかの意味を見出している集団が、この遺跡を作った事は明白ですよね…? 
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タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
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