■即身仏 8 岑海上人
以前に、待定法師の事を紹介したが、今、お姿を見る事が出来ない即身仏としては、この岑海上人も同じかも知れませんね…。岑海上人の即身仏は、明治25年(1892年)に注連寺が焼けてしまった時、鉄門海上人のそれは助かったのに、寺と共に焼失して、今は残っていない。鉄門海上人が残ったのに岑海上人が残らなかったのは、前者は別堂に安置されていたのだけど、後者は本堂の前縁に祀られていたため焼失したとされている…。
岑海上人は、岩手県紫波郡徳田村間野野の農民であったようなんだけど、男の子がなかったので娘に婿をとって家を継がせたようなのですが、この婿がえらいとんでもない人物だったらしく、岑海上人の娘を追い出し、その後に泥水稼業の女を女房とした。この女がまた邪険で、岑海上人を邪魔にし、虐待を加える始末で…。世をはかなんだ岑海上人は家を飛び出すと、かねてから信仰していた湯殿山に詣り、注連寺の行人にしてもらった!と伝えられている…。

ただ、彼の生家の跡地とされている場所には、村人たちが建立したという無縫塔(卵塔)が一基残っており、その周囲には小石がたくさん積まれているが、なぜ小石が積まれているのか?を知る方もいないようで…。
即身仏になってから、その遺言だという事で、駕籠に乗せられて里帰りをした!その空墓が残っている無縫塔なのだそうですが、即身仏になって滞在中には、近郷近在から参詣が絶えず、色々と奉納品も多かったようなんだけど、その時に用いたという幟二流と、彩色を施した肖像画二幅の他、岑海上人が着用したという法衣一領が保存されている。
岑海上人は、注連寺で行人となり、その即身仏は、注連寺に安置されている!と郷里では言われていたらしいのですが、確かに古い資料では、注連寺から御影を発行されているのですが、何故か、近隣の真如海上人が祀られている大日坊にも、その御影が発行されていたり、現在も大日坊が明治時代に焼失した2体の即身仏の一体として、大日坊では、真如海上人・月光海上人と共に、そのお位牌がまつられている…。

謎だらけの人物ではあるのだけど、岑海上人という方がいらして、火事で焼失してしまった!というのは事実のようですわ…。また、懲りずに、一年に一回くらいは、即身仏さまの供養を込めて、違う即身仏さまも紹介しようと思います。