■創世記
「旧約聖書」の創世記には、神が天地創造をする場面で、最後に人間をつくった時の様子が描かれているんだけど、この個所について、ノストラダムスの大予言の著者でも有名な予言研究の第一人者ともいうべき五島 勉氏は「旧約聖書」としてはあるまじき文章が記されている!と指摘している…。どういう事か?というと、神は「われわれの形をかたどって人間をつくろう」といって、人間の男と女をつくったが、この「われわれ」というのが変だ!という…。
いうまでもなく、「旧約聖書」はユダヤ教の聖典で、後のキリスト教の基盤となったものですよね?生まれると神社でお宮参りをし、結婚の時にはキリスト教の教会で結婚式を行い、死んだ時は仏教で戒名をもらう日本人には、ピン!と来ないかもしれませんが、以前もこのブログで書いたように、ユダヤ教、もしくはキリスト教でいう”神”とは、たったひとりなはずであって、神はいつも「わたし」であり、「われわれ」であるはずがない!
「旧約聖書」によると、神は天地創造を6日で成し終えた…。1日目に光と闇をわけ、2日目に大空の上の水と下の水を分け、3日目には陸地をつくって草木を生えさせた。4日目に、神は、太陽と月に昼と夜を司らせることにし、5日目に海の生物、地上の動物をつくったのだとされている…。
そして、最後の6日目に人間をつくったのだけど、神が「われわれ」になったのは、人間をつくった時だけ!で、そのほかの創造は「わたし」ひとりでおこなっている。

もちろん、聖書は世界で最も多く翻訳されている書物だから、翻訳者の間違いという事もあるかも知れないけど、古代ヘブライ語で書かれた「旧約聖書」の原本にも、確かに、人間をつくった時だけ”複数形”になっているのだという…。
まして、それは”神”をあらわす言葉ではないそうなの!「旧約聖書」の原本に従うならば、人間をつくったのは「天からきた人たち」と書かれているそうだ!だとすれば、神はひとりの原則は守られていたという事にはなるけど、はたして、この「天からきた人たち」とは誰なんでしょう?

メソポタミア文明を築いたシュメール人は、実は2500年も前にピタゴラスの定理を知っていた!とされているが、それほどの超高度な文明を持っていたと考えると、彼らこそが宇宙人だった!という説もあながち否定出来ませんよね…?