■高松塚古墳”21”の呪い
以前このブログで、ツタンカーメン死の翼というタイトルで、ファラオの呪い?らしい文を打った事があるのですが、日本版 ファラオの呪い?というのがあるのを、皆さん知っているでしょうか?奈良県明日香村にある高松塚古墳は、その石室に描かれた鮮やかな壁画で、発見当初かなりのブームにもなり、切手のデザインにも使われたくらいなんだけど、実は、この高松塚古墳には、あまり知られてない不可解なエピソードがある。
藤原京時代(694~710年)のものとされるこの古墳は、国宝にも指定され、考古学上重要な史料として発掘が行われて来た…。ただ、その発掘に関わった人たちに相次いで不幸が襲い掛かって来た事は、あまり知られてないのではないでしょうか?
この古墳の壁画が発見されたのは、1972年3月”21日”!色彩豊かな壁画の発見に、人々は沸き上がったが、それは同時に呪いの始まりだった…。その2ヵ月後の5月”21日”、明日香村の観光課長が肺がんでこの世を去った。発掘調査に非常に熱心だった彼は、家族の話によると古墳発見の頃から寝ている時にうなされていたという…。そして同年の8月”21日”、古墳近くに住んでいた女性が急死!彼女は古墳発掘の手伝いをしていたらしく、古墳の第一発見者とも言われている…。

壁画が発見されたのが”21日”、そして3人の犠牲者が亡くなったのも”21日”。全ては21日に起こった事から、「21の呪い」等と噂されるようになったらしい…これは単なる偶然でしょうかね?
その後も、壁画の模写を担当していた画家が交通事故で死去…。また古墳に最初に鍬を入れた男性も、自殺でこの世を去った。古墳発掘関係者の相次ぐ死に、地元の人々は怯え、毎月21日は「高松塚の霊が犠牲者を求めて徘徊する日」として死者を弔う日にしたという…。

高松塚に埋葬されている人物は、いまだに不明であり、それに関しては様々な議論が交わされて来た…。しかし、このような連続する恐ろしい事件が起こった事から、よほどの怨念があるものが封印されているのでは?されていたのではないか?と囁かれているのも事実でさ…。