■中尊寺の「御遺体」
今の中学生の修学旅行って、何所に行くんですかね?私たちの時代は宮城県の松島くらいまでだったんですけど(古)…。自分にとって、中学の修学旅行で一番インパクトが強かったのが、岩手県平泉の中尊寺金色堂ですかね?何じゃ?この金ピカ!って、最初驚いた!日本で最も面積が広い岩手県…ゆえに文化も多様で、民話の里・遠野があり、義経伝説に彩られた平泉がありで、ミステリーファン必見のスポットも多い…。
辺境の地にあった日本という国が、ヨーロッパの人々に知られる事になるきっかけとなった書物が、マルコ・ポーロの「東方見聞録」なのは皆さんご存知の通りで、同書の中で、マルコ・ポーロは日本を”黄金の国”と記している…。
元のフビライに仕え、中国に滞在した経験を持つマルコ・ポーロが、何故日本を黄金の国と勘違いしたのか?これには諸説色々あるのだけど、特に、かねてより黄金を多用した平泉文化の影響が指摘されて来た。
平泉文化とは、平安時代末から鎌倉時代にかけ、岩手県南部に華開いた文化であって、奥州藤原家4代の栄華によってもたらされたもので、北上川流域で産出された、莫大な金を経済的バックボーンとしていた事が知られている。この金があったからこそ、奥州藤原家は現世に極楽浄土を実現しようと考え、中尊寺に金箔を使った金色堂を建てる事が出来たんだろう…。対中国との貿易にもその金は使用され、こうした事情から、「日本には豊富な金がある!」という噂が中国で広まり、やがてマルコ・ポーロの耳に入ったのではないか?と考えられている…。
ただ、平泉文化の栄華は長くは続かなかった…。テレビドラマ等でも取れ上げられているように、奥州藤原家は、源義経を匿った事により、時の権力者・源頼朝の怒りを買い、滅亡する…。
そんな中、中尊寺で奇跡的に焼失を免れ、今もかつての栄華を偲ばせてくれる建築物に、金色堂と経堂の2つがある。数々の文化遺産があり、国宝を所蔵する中尊寺なんだけど、戦後間もない昭和25年(1950)、金色堂須弥壇で、世間をアッと言わせる発見があった!かねてより、寺で言い伝えられて来た御遺体の存在が、学術調査により確認されたのさ!4体確認された御遺体の正体は、藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡のもの…。奥州藤原家4代のものな訳で、ここまで有名な人物の御遺体が4体も残っているのは、まさに前代未聞の事…。
歴代の当主の御遺体を安置してきた背景には、当時の仏教思想の中心にあった、法華経の影響が大きいらしい。法華経の教理には「入定」があって、肉体を留める事で永遠の生が可能である!とされていた。
4体発見された御遺体なんだけど、この内、第4代の泰衡のものだけは、他と著しく様子が違う!泰衡のみが首だけの御遺体であるうえ、損傷が激しく、9つの刀傷が残っているそうなの…。鎌倉幕府によって首を切られた泰衡なんだけど、実はこの人物こそ、幕府の威光に脅え、源義経を討伐した人物なのね。
泰衡の首が入っていた桶の中からは、学術調査時に「蓮の種」が見つかったんだけど、この蓮の種、長らく存在を忘れれていたが、平成の時代になり、水に付けて育てると、芽を出し、直径25センチのピンクの花を咲かせたそうなの…。御遺体は蘇る事はないと思うけど、蓮の種は確かに800年の眠りから覚めたようですね…。
皆さんも、平泉中尊寺金色堂行ってみませんか?中学の修学旅行以来という方、今なら当時とは違う違った目線で興味持てるかも?です。
▼コメント(2)
名前:タリズマンM 2010.10.02 10:55:39
チワワさま
もう、一ガンバリですね!
メールが長く帰って来るようになった事だけでも、大きな前進じゃないですか!
必ず、逢えるようになるはずですよ。
ガンバレ!チワワさん!ワンワン!
名前:チワワ 2010.10.01 21:37:38
タリズマーーーン!!!
会うのは拒否されたものの
メールが長く返ってくるように
なりましたぁぁぁあ(●´∀`●)/
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