■人柱
1923年(大正12)、関東大震災で損傷した皇居から、16体の人骨が発見され、当時は大ニュースになったらしい…。遺体は手を組み合わせたポーズで、しかもその頭部には穴の開いた古銭が乗せられていたという…。皇居が江戸城として建設された16世紀当時の生贄、人柱と見られ、歴史雑誌「中央史壇」の中で生物学者であり民族学者としても高名な南方熊楠が論文を寄せた…。
南方熊楠は、建設工事等に際して人柱を立てる行為は古代から広く行われていた!と言及。「和漢三才図絵」には飛鳥時代、長柄橋(現大阪市淀川区)を架ける難工事にあたって人柱を埋めた記述があると紹介した。

人間の魂を建築物に組み込む事で、しっかりとした土台となり、また墓は未来永劫残り続ける!と信じられていた訳ですが、自然災害を防ぐ目的でも人柱は使われたみたいで…。
日照りで雨が降らず農作物が育たない時、反対に雨が止まない時、人々は神に祈りを捧げた…。村にある池や沼等に、水を支配する「水神」「龍神」がいると考え、契約を結ぶのさ…。生贄を捧げる代わりに、雨を降らせて欲しい…あるいは太陽を見せて欲しいと…。こうした人身御供の伝説は日本各地に残されていて、犠牲になるのは女性が多かったようで…。
人身御供はやがて風習となっていった…。神がそれほどに人の命を欲するなら、凶作を防ぐために、定期的に生贄を差し出そう!と考えたのさ…。

実は、人柱は大昔の風習ではなくて、この北海道でも心霊スポットとしても有名な常紋トンネルでは、作業員に過酷な労働を課していたが、亡くなるたびに人柱として現場に埋められていた!実際に多数の人骨が発見されてますしね…。