■徘徊して皇居へ
『徘徊する』と言えば、今の時代は認知症の人だと思われる。でも、漢字から想像するに、もっと上品な意味があるのじゃないかと思って調べてみた。 やはり、あった。
万葉集第11巻の2541に『たもとおり 行箕の里に妹を置きて 心空なり土は踏めども』。
ここに出て来る『たもとおり』というのが、『徘徊』の動詞形であった。
それが分かったから、もう徘徊するのを恥じるのを止めようと思う。・・・と、いうわけで、桜を求めて都内を徘徊した。

皇居の傍を走っていたら、観光客が皇居の中に入って行くのが見えた。そこで北の丸公園に車を停めて、私も行ってみた。
北桔橋門(きたはねばしもん)から中に入る。
入り口で警備員から入門札を受け取る。
門を入った目の前に巨大な天守台があった。
天守台というのは天守閣の土台部分のことのようだ。

その前には広大な公園が広がっている。
この公園が皇居東御苑である。
よく整備されていて、さすがに皇居だと納得である。
東京に住んでいながら、私はここに初めて入った。
都会の真ん中にありながら、そこは静かな空間が広がり、誠に気持ちが良い。

次からの私の案内する東京観光には、ここをコースに入れると喜ばれるかもしれないと思った。
(おまけの話)
私の身内には幸いなことに徘徊老人は居ないし、居なかった。だから私もボケて徘徊するようにはならないと思っているが、どうか?

私の知っている人でボケて徘徊した人は、小学校のT先生である。
その人は私が小学校の1年生から6年生までを担任してくれた女の先生だった。
夫婦で先生をしていたので、彼女のお母さんが家事を担当していて、彼女は全く家事をしなかった。
気の強い先生で、私が悪いことをすると教壇からチョークを投げつけたり、前に呼び出して壁にかかっている教習用の大きなソロバンに頭をぶつけられたことを覚えている。

その先生が55歳で定年となり、家に籠った。
そして間もなく、彼女は近所を徘徊するようになってしまった。私のことも分からなくなり、3年くらいして亡くなった。
今になって思うに、仕事以外に趣味も無く、やることがなくなると人はボケるのかもしれない。
その点では私は大丈夫のようだ。