■メールを楽しむコロナ効果
コロナ騒動であまり出掛けなくなると、ブログの話題に困る。
そこで「ブログ閉鎖中の話題」でベトナム特集を掲載しているが、たまには何か他の事を書きたくなる。
なにしろ時間が使い切れないほどにあるからだ。
そこでコロナ騒動が起きる前の、「去年の今頃はなにをしていたか?」を調べてみた。
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すると、やはりと言うべきか、暑いので遠くには行っていなかった。
しかも予想に反してコロナも無いのに、昨年も大したことはしていなかったのである。
昨年はあったが、今年は無くなったものに靖国神社の「みたままつり」と築地本願寺の「ランチタイム・コンサート」があったが、みんなコロナウィルスの影響で中止となった。
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今回の写真に使った「上野不忍池」の蓮の花であるが、昨年は7月18日に行って、満開の蓮の花を撮影していた。花の開花を予想するのは難しいが、今年も18日頃には満開になるだろう。
その時はもっと早い時間に、また撮影に行ってみようと思う。
蓮の花は日の出と共に開くと言われていて、その時には「パカッ」と音がするというが、それは嘘である。
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近所に住むプロカメラマンのOさんと、四谷行きの都バスの中で会った。彼は中学・高校が一緒で、私がここへ越して来たのは単なる偶然である。
前日に「マスクは間に合っていますか?、女房が夏用のマスクを作ったので、必要ならプレゼントします」とメール送信をしたばかりだった。
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都バスの一番後ろの席から、私に手をあげているマスク姿の男がいた。
近付いても、良く分らない。帽子をかぶりマスクをしたら、殆ど顔が見えない。
その上に老眼が重なるのだから、なお見えない。
やっとOさんだと分かり隣の席に座って話をしたが、私は年のせいで難聴気味で、更にバスのエンジン音が大きくてなんだか良く分らなかった。
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家に帰ったら、ベトナムの日本語学校の先生から、久し振りのメールが届いていた。彼女は3年くらい前に、ホーチミン市から我が家に遊びに来たこともある。
その時は決っていたのに私に言わなかったが、実は離婚寸前だったようだ。
【これから結婚をしたくないです。娘を育てて、独身のような生活のほうが自由だ思います。年を取っても、仏教の説教を教わったり、お寺へ行ったりしたいです】とあり、なんとも複雑な気持ちになった。
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同級生のYさんは腰痛で長年苦しんでいて、症状が悪化したらしく長いメールを送信して来た。
【2ヶ月間の長期休暇の影響でプールでのリハビリが中断され、筋肉も関節も全てが元に戻ってしまいました。耐え切れずに、脊椎の専門病院を受診しました】とあった。
しかし医師からは手術後に起きるかもしれない後遺症を7つも説明され、家族にも反対されて悩んでいる様子が文章に現れていた。
今回のコロナ騒動で会うことが出来ないことが、思わぬ良い効果を招いた。それは「メール交換が増えた」、「お互いに文章力が少し上がった」である。
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(おまけの話)
久し振りに静岡県に住むニューヨーク時代の友人のMさんに、ご機嫌伺いのメールを出した。コロナ騒動以来、友人達と直接会うことも出来ず、メールでの近況伺いが増えた。
Mさんからは長い文章の返信が届いた。
その返信の中に、もう1人の私の中高時代の友人の名前が出て来た。
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それは作家の「嵐山光三郎」で、日経新聞の「あすの話題」に山岡鉄舟に付いて書いた文章を知らせてきてくれた。
その文章から抜粋すると、【慶応4年、江戸城明け渡しの時、鉄舟は「朝敵慶喜の家来鉄太郎である」と大声をあげてのし歩き、西郷隆盛は「命もいらぬ、名誉もいらぬという男は始末に困るが、こういう男でなければ困難は越えられない」と褒めた】。
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更に【金貸しから千円借りて証文を請求されると、「無くて七癖、私の癖は借りりゃ返すのが嫌になる」と大書して渡した。金貸しは、泣く泣くこの書を持ち帰ったが、それを見た人が「書といい文章といい、誠にすばらしい。ぜひとも千円で譲ってくれ」と言った。それを聞いた金貸しはその書を表装して家宝にしたという】
山岡鉄舟は江戸の生まれだが静岡に縁があったせいか、Mさんは彼が大好きなようだ。私はもっと山岡鉄舟のことが知りたくなり、すぐに図書館に「山岡鉄舟 決定版」を予約をしたのである。
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