■絶好の死に時
コロナ騒動が、いつまで経っても収まらない。
年のせいばかりではなく、出掛けるのも億劫になって来ている。
「足が弱ってはいけない」と思い、なるべく外に出るようにしているが、以前のように遠くには行かなくなった。
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近場のウォーキングも、毎日となると飽きる。
家にいる時はテレビはあまり見ないので、本を読む時間が増えたように思う。
図書館から借りるだけでは間に合わず、新刊書はネットで注文したり本屋に買いに行く。
近頃の本は1500円以上もするようになったので、「高い!」と感じる。
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映画も以前ほどではないが、それでも自粛解除後はかなり見るようになった。最近の映画館の入場料は、シニア料金でも1200円である。
でも一般料金は1900円なのだから、シニアは相当に優遇されているから見た方が良い。私には楽しめるのは本より映画の方だ。
本には「シニア割引」が無いからかもしれない。
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「小人閑居して不善をなす」という言葉がある。
なんだか自分のことを言われているようで、「すみません」と言いそうになる。
私は「小人」であることは確かだ。「閑居して」も、その通りである。
「不善をなす」と言われると、本人はそうは思っていない。
そこが問題かもしれない。
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私のオヤジは56歳でアチラヘ逝ってしまった。
母親は長生きで、86歳まで頑張った。
彼女には親しくしていた女友達が3人いて、いつも4人で楽しく集まっていた。
しかし1人欠け、2人欠けとなり、遂に最後は母だけが残ってしまった。
その前に亭主に死なれて30年以上も1人でいたので、いつも「つまらない」と言っていた。
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私の親しくしていた同級生が、何人もアチラに逝ってしまっている。
年金生活者として、お金を掛けずに、もう少し長く一緒に遊びたかった。残った友人達は新型コロナウィルスのせいで、会う機会が無くなってしまった。
マンションにも友人がいるが、70歳を過ぎてからの友人なので同級生と同じようには行かない。
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最近は体のアチコチに不具合が出ているが、病院に行けば「加齢から来ています」で終りで、以前のように回復することは無くなった。
「死ぬ」ことは怖くは無いが、死にそうになる時が怖いような気がしている。なんとか「絶好の死に時」を見付けて、潔くアチラヘ逝きたいものだ。
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(おまけの話)
私は10年ほど前に「日本尊厳死協会」に加入して、「延命処置を拒否」を宣言している。会費を支払うと、季刊で協会からは「Living Will」という小冊子が送られて来る。
7月号に出ていた記事に、私は非常に同感した。
記事は対談でタイトルは「絶好の死に時があるのではないか」で、著者は作家の篠田節子さんである。
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彼女の父親は90歳で亡くなったそうだが、交通事故で頭蓋骨骨折で急性硬膜下血栓で入院し脳梗塞となった。その後、胃ろう、嘔吐、誤嚥性肺炎、点滴という苦痛を伴う状態が続いた。そして最後は胃に入れた内容物を吐いて、それが気管に詰まって亡くなった。
「いま思えば、人には絶好の死に時があるのではないかと感じた」と話している。彼女は「胃ろうをしない」という選択が出来なくて、父親を苦しませてしまったことを悔いていた。
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人間というものは、なかなかその場になると「正しい判断」が出来ないものなのである。だから私はまだ健康で正常な判断が出来る内にと思い、60歳代で「日本尊厳死協会」に加入した。
いざのその場で、家族ではなかなか判断出来ない無駄な延命をさせないようにしたのである。自分ではなかなか「絶好の死に時」は分からない。
もしかしたら、「もう過ぎてしまった」のかもしれないと思っている。
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