■人はどこで癒されるか?
私のブログ愛読者の同級生のA君からメールが届いた。 【貴兄の菩提寺は築地本願寺でしたね?、今朝のNHKテレビ「おはよう日本」の番組内の「朝ごはんの現場」で築地本願寺のCAFEでの朝ごはんが放送されていました】。

【いつも貴兄がブログで紹介しているお粥と思ったら、何と18種の小皿おかず付きが出されていました。貴兄の挑戦を期待し、感想を楽しみたくメールしました】。
私のブログを楽しんでくれているのは嬉しいが、宿題を出されてしまった。朝から18皿の朝食は食べられないので、困った注文である。

私は特に宗教心は無いと思っている。
でもキリスト教やイスラム教や、新興宗教も肌に合わない。
一番合いそうなのが、「神道である」のような気がしているのである。
築地本願寺も門徒になってはいるが、それも女房から「近くにお墓が無ければ、お参りにも行けない」と言われて、お墓を買っただけであるから、いい加減な門徒だ。

毎月16日は「親鸞の日」と称して、築地本願寺では朝の読経の後に、別室で「おかゆ」がふるまわれる。
朝は早起きの私は、寒い冬を除き、そのおかゆを食べに行っている。
「おかゆ欲しさ」に行っているわけではなく、午前7時からの僧侶の読経を聞くのが心地良いからである。

普段の生活では、私は全く宗教と無関係の生活をしている。
今は生活自体が洋風化していて、我が家には小金井時代にはあった和室も無い。日本に生まれ育った私の世代の男には、洋風には潤いが無いように感じる。
だから勝どき駅近くの奇跡的に残った古い長屋、琺瑯引きの昔の看板、神社仏閣などに癒しと愛着を感じるのである。

私としては、そんなジャンルの中に仏教がある。
外国へ行ってキリスト教の寺院を見ても特に感じることは無いが、お寺や神社に行くとなにか分らないが、自然と心を洗われるような気がする。
そんな時に「私は日本人なんだー」と感じるのである。

(おまけの話)
築地本願寺の境内が整備されて、カフェも設けられて今までよりお洒落で良くなった。
銀座通りにも本願寺銀座サロンという場所を設けて、毎日、色々な講座を開いている。私はこの講座に時々、参加している。
そんな時に本願寺の境内を整備した1周年記念で、講座参加者が講演会に招待された。

その時にこの講座の為に、大阪からやって来た講師の僧侶の話に感銘を受けた。この僧侶は寺院の境内でホスピスも経営しているそうで、そこで起きた物語の話をした。
【夫婦と義理のお母さんの3人住まいの静子さんの話である。このお嫁さんは優しい人で 体の弱ったボケた義母の面倒を良く見ていた】。

【ある日のことである。義母は「あなたは誰?」とお嫁さんに言った。それにショックを受け僧侶に相談に来た。僧侶は「これは病気なのだから、仕方ないのです」と諭したそうだ。
更にボケが進み、もう体も弱ったので、ホスピスに移した。そして義母は嫁さんに言った。 「いつも親切にしてくれてありがとう」。】

【もう最後が近付いたある時、義母は介護をしてくれているお嫁さんに言った。「あなたもとても優しくて親切だった。でももっと素晴らしい人を知っている。それは息子のお嫁さんの静子さんで、残念だが亡くなってしまった」と言った】。
この話には泣けた。
本当の話だそうだが、同じにボケてもこうありたいと願う。
