■山のカケス
知り合いのお宅の二階の居間の窓際に、冬でも緑の葉がある松の木が伸びている。その木に小鳥のエサ台が作られている。ヒマワリの種とかを置いておくと、シジュウカラやヤマガラなどの小鳥や時々はアカゲラやカケスがついばみにやってくるそうだ。
カケスは全体的には褐色であるが、黒や青や腹部の白やいろいろな色が入って美しい。大柄な鳥で、アカゲラなどよりも大きく、エサ場ではアカゲラを追い払うこともあるそうだ。
先日お邪魔したときに、エサ場にカケスが現れて、みんなでエサをついばむ姿を眺めていた。

何かの拍子に、「♪山のカケスも鳴いていた 石の地蔵さんのよ・・・」と春日八郎の「別れの一本杉」の文句が飛び出してくる。そうすると続いては、春日八郎からの連想で、
「♪粋な黒塀 見越しの松に 仇(あだ)な姿の 洗い髪・・・」と「お富さん」の歌詞が飛び出してくるのが、同世代人ならではの掛け合いかもしれない。
それにしても「お富さん」は一世を風靡しました。確か小学生の頃にこの歌が流行って、ラジオからもよく聞えてきたし、親たちも何かと口ずさんでいたように記憶している。日本中が「お富さん」ブームに浸った。子供たちも訳が分からないながら、この調子のよい歌詞を口ずさんでいた。
「粋な黒塀」が何たるかも分からない。「見越しの松」の「みこし」はてっきり御みこしのことだと思っていた。何だか分からないのだが、やたら調子のよいリズムに乗ってみんなが歌っていた。
「♪知らぬ仏の お富さん エッサオー 源冶店(げんやだな)」この「げんやだな」というのも全く訳が分からず口ずさんだ言葉だったなあ!?
同世代とは、世の中の流行歌を同じように聞き、同じような出来事を体験して共有している者同士である。わたしたちの世代で云えば、
栃錦と若乃花の相撲の熱戦をラジオで手に汗を握って聞き、夕方のテレビの月光仮面をわくわくしながら待ち望み、南極観測船「宗谷」への寄付や南極に残ったタロウとジロウが翌年生きていた喜びなどを子供の時代に体験した。
再び小鳥のエサ台の話に戻る。
エサ台にクルミを置いておくと、エゾリスが食べに来るそうだ。先日は2匹で来たこともあったそうだ。エサ台のクルミをかじって割って中身を食べるのだが、やがてクルミをくわえてどこかに運び出す。置いてある分だけ何回もクルミ運びを行う。どこかに隠しておいて冬場の備えにするのだろう。春になってエゾリスが置き忘れたクルミの実が発芽して緑の葉を伸ばしてくるのを見ることもあるそうだ。
年の瀬である。
子供の頃の一日は短く、一年は長い。
大人になると逆で、一日が長く、一年はあっという間に過ぎていくほど短い。
と云われる。
子供の頃は、毎日が楽しい遊びにあふれていて、ベーゴマ、めんこ、ビー玉、鬼ごっこ、ちゃんばら、缶けりと近所の道々を飛び回っていた。夕暮れの訪れで遊びが終わり、家路に着くのがもったいなくて、もっと時間が欲しいという思いだった。
一方「もう幾つ寝るとお正月」と、お年玉がもらえるお正月までが長かった。
大人になると会社生活での一日は長く感じるが、季節の移ろいは雑事に追われてあっという間に過ぎ去っていく。この間新しい年を迎えたのに、また年の瀬が来た。
伊達に来て4回目のお正月を迎える。
今年は12月の早めの頃から雪が降り出していたように思う。寒い日も多く、いつもより早く根雪になった。
伊達に来る前にこちらの人から「伊達は雪が少ないから、ほうきで掃く程度ですよ。」と云われたが、それは違った。やはり冬場は、雪かきの道具で何度となく雪かきはしている。
昔はもっと少なかったという話も地元の人から聞くから、近年雪の量も多いのかもしれない。それでも新聞やテレビを見ると、札幌や岩見沢や日本海側の地域は、もっともっと雪の量は多くて、雪かきが大変だ。
冬場はご近所の人とも戸外で会うことが少なくなる。雪かきで顔を合わせたときは、言葉を交わす時となる。
(2011-12-25記)