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[2011.08.23]
■手稲パラダイスヒュッテ
札幌の手稲山の中腹にパラダイスヒュッテは建つ。現在の小屋は2代目で、先代の小屋が老朽化したので、少し離れた場所に1994年に建て直された。周りには大きな白樺の木が多い。聞くところによれば、この小屋を建てるにあたり、白樺の木を切らずに建てられる場所を選んだそうだ。  



今回、クラブの一代後輩たちの小屋での集まりに参加させてもらい、女房と小屋で一泊させてもらった。早い夕方から小屋の前で火を起こしてバーベキューをやりながらの一杯となった。久し振りの懐かしい面々との再会も果たせた。  
この日は、小屋に地元の子供たちと引率の親たちのグループが40人くらいで来ており、にぎやかだった。隣では子供たちが普段は町ではできない焚き火に興じていた。親たちも危なくない範囲で、子供たちに自由にさせていた。子供たちは、近くの林から枯れた木の枝や笹を拾い集めてはくべて、焚き火を楽しんでいた。夕食時には、各自がお湯を沸かしてカップ麺などを食べていた。これも子供たちの自主性に任せるスタイルを取っていた。人懐っこい子供たちは、私たちのグループにも入って、身の上話をしていったりする。  
子供たちは、この日麓から歩いてこの手稲山中腹の小屋まで来た。そして翌朝早く起きて、手稲山の山頂まで登り、ご来光を仰ぐとのことだ。麓から山頂まで、1000mの手稲山を完全制覇だ!  
わたしたちが学生時代にお世話になったのは、先代のパラダイスヒュッテである。  
インターネットで先代のパラダイスヒュッテのことを調べてみた。  
ヒュッテの実現に尽力したのは、北大の医学部教授でスキー部長でもあった大野精七博士だった。当時山スキーによる冬山登頂が盛んになり、拠点となる山小屋が熱望されるようになった。博士はドイツ留学の経験から、スキーによる市民の健康増進を目指し、札幌近郊の山々にスキーツアーができるような複数の山小屋構想を持った。その最初の小屋が、手稲山に1926年に建てられた。設計は、当時札幌に在住したスイス人建築家マックス・ヒンデルだった。場所は手稲山の中腹「雁皮平」で、ここには滑降にもってこいの快適な斜面があり、「パラダイス(楽園)」と呼ばれていた。小屋名の由来である。  
学生時代は、11月23日の勤労感謝の日の頃になると、手稲山の上の方ではスキーが滑れるようになる。ワンダーフォーゲル部の連中は、12月後半のニセコでの冬合宿に備えて、手稲の小屋に詰めてスキー訓練を始める。雪の時期のパラダイスヒュッテにはよく出かけた。また、秋の一日、部員総出で“薪上げ”と称する行事があった。小屋のストーブで使う薪を車道から小屋までの間、人海戦術で運ぶ作業である。小屋で使う1年分の薪を運んで小屋の周りに積んでおいたのだろうか。  
“小屋番”という役割がある。わたしは1,2回しかやっていないが、週末の小屋で「薪割り、ストーブ点け、小屋掃除」の役割を担い、小屋を訪れる人々を暖かく迎える。  
小屋に大勢が泊まる時、2階の回廊の板の間にシュラフを敷いて、みんなで肩寄せあって眠った。手稲のパラダイスヒュッテは、みんなの青春の思い出の地である。  
 
「山は厳父 小屋は慈母」という言葉を知った。確かにその通りだと思う。  
学生時代は、大雪山の避難小屋には泊まったことはなかった。テント持参が原則であり、黒岳の石室、白雲小屋、忠別小屋、ヒサゴ沼の小屋と避難小屋があることは知っていたが、普段は泊まる場所ではなかった。  
但し、日高の幌尻(ポロシリ)山荘だけは別だった。夏の日高に1週間ほど入って、沢の上り下り、ハイマツとの格闘をやって、幌尻岳を下ったところにある幌尻山荘には2回ほどお世話になった。明日はシャバに下りるという前の晩に、ここで泊まれることは今までの山中での狭いテントから比べると天国のようだった。  
 
2代目のパラダイスヒュッテは先代の外観を忠実に再現しながら、ソーラー発電や浄化槽を備えた今風の快適な山小屋となって再登場したそうだ。アルバムに貼られた古い小屋の写真と見比べてみたら、確かに窓の感じがそのままだ。古い小屋での写真は、薪上げの後だろうか、薪の上に座って秋の陽射しを浴びながら、同期の友人といっしょに写っていた。  
(2011-8-18記) 
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プロフィール
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mimi_hokkaido
2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
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