■ハナちゃんが我家に来る
日曜の朝、道の駅のところで、“軽トラ朝市”が開かれて、この時期の新鮮な野菜類、アスパラ、きゅうり、トマト、ブロッコリー、キャベツ、白菜、そして漬物、お花類などが売られている。
この日曜は、同じ場所でフリーマーケットが合わせて開催されて、人々でにぎわった。

いろいろなお店が、品物を並べ始めている。陶器類、洋服類、女の子の飾り物、ぬいぐるみ人形、家庭雑貨、バックや手提げ袋、写真や絵の類等等、見るのも楽しい。
美瑛の丘の写真が入った額をもとめたり、アニメの赤毛のアンの絵皿をもとめたりした。
開き始めたばかりのあるお店の、真中の辺りに、小さなイスに座っている洋風のお人形がいた。

お店のシンボルの飾りのようにも見えたので、
「このお人形は、非売品なの?売っていただけるんですか?」
と聞いてみる。
「売りますよ。うちでピアノの上に飾ってあったのですが、もう一体あるので、今回手放すことにしました。」
身長70cmくらい、シックな洋服に身を包み、帽子や
マフラー、靴をはき、花かごを手にしている。大き目のお人形さんである。
女房もわたしも気に入って、早速もとめた。
お店の方は、もしかして、もう少しの間お店のアイドルとして飾っておきたかったのかもしれない。あまりに早く、“貰われて行ってしまった”と思ったかもしれない。
我家に、孫が座るのにいいくらいの小さな木のイスがある。家に戻って、そのイスに座ってもらう。女房と名前を何にしようと話す。
いろいろと候補が出たが、結局“ハナちゃん”(はなこちゃん)に決定。
我家には、以前から二人(!?)の人形さんがいる。
一人は、女房の手作り人形で、赤毛のアンをイメージしているので、“アンちゃん”と呼ばれる。

2階のドレッサーの上に置かれていて、たまに飼い猫のミミが“アンちゃん”の前掛けの辺りに顔を乗せて休んでいる姿を見かける。布製の柔らかな感触が、ミミにとっても気持ちよいのだろう。
「赤毛のアン」は多くの女性の憧れであり、女房も好きだったのが、この人形作りになっていったようだ。
もう一人のお人形さんは、日本人形の“ふみちゃん”である。

この人形は、我家に来てから30年近く経つだろうか?
我家の二人の子がまだ小さい頃に、東京・目白の人形店でもとめた。
我家は、子供が二人とも男の子で、何か寂しかった女房が女の子の人形を欲しがったのである。伊達のこの家に来てからは和室の窓のそばに置かれている。
“ふみちゃん”については、こんな思い出がある。
もう何年か前に、わたしの母が横浜の家に1ヶ月ほど居たことがあった。80歳を越して、散歩といっても、マンションの近くを少し歩く程度である。孫たちも大きくなり、もうおばあちゃんの話し相手にはならない。女房も一日中話し相手になっているわけにもいかない。
手持ち無沙汰でもあり、食事のことも女房がやっているので所在無げである。何か元気がなく、ぼんやりしている時間が多い。
母は、若い頃から裁縫が得意で、和服を縫うことが多かった。一時、東京・北区の呉服屋さんの着物を縫うこともあった。
わたしも結婚した時に、着物を一つ作ってもらって、正月に着たこともあった。
あまり元気のない母を見ていて、女房がこのことを思い出して声をかけてみた。
「おばあちゃん、ふみちゃんの着物を縫ってくれない?」
とお人形を見せて、
「ふみちゃんは、着たきりすずめなの。」と云った。
早速家にあった端ぎれを使って、作り始めて一枚縫ってくれた。針目は、以前より粗くなっていたが、縫っている間は何か楽しそうだった。
女房は、ユザワヤという布屋さんに出かけて何種類かの布を買ってきて、さらに数枚の着物を縫ってもらった。
後から、この話を聞いて、「人はいくつになっても、自分の好きなことをやる時や、得意なことをやるときは、活き活きできるのだろうな」と思った。
おばあちゃんの場合は、「着物を縫う」ということだった。もう人の着る大きな着物を縫うのは無理だが、小さなお人形さんの着物は手頃だった。
お陰で、“ふみちゃん”は、衣装持ちになった。
さて、3人(!?)のお人形さんは、これからどんな人生(!?)を渡っていくのだろうか?もうしばらくは、我家のそれぞれの場所に居てくれるようだ。
(2011-7-2記)